Back to Top
Back to Top
Cover Columns
Cover Column 自動車ジャーナリストという仕事
2013
Cover Column
いろんな分野にジャーナリストという職業があるように、自動車にもジャーナリストという仕事があります。自動車を技術的に、または文化や趣味の対象として検証して、媒体を通じて紹介する仕事です。日本ではオーナードライバーが増えたのが戦後ですから、この仕事が成り立つようになったのも戦後ということになりますが、欧米ではそれよりもはるかに長い歴史があります。私は幼稚園のころには、自動車に魂を奪われてしまったくらいのクルマ好きで、自動車について書かれている雑誌や書籍を読みあさるような学生時代を過ごしました。けれども当時の日本には、まだ自動車ジャーナリストといえるような人はおらず、自動車雑誌の記事も、自動車メーカーのエンジニアや大学教授といった立場の人が、各自の専門分野にのみ焦点を当てただけの視点で書かれたものばかりだったんです。そこで私は、欧米の自動車雑誌を取り寄せて興味深く読むようになり、やがてそのような雑誌が日本にも存在すべきだと思い、カーグラフィックを創刊したというわけです。
※ 小林彰太郎氏は、 2013年10月28日、83歳で他界されました。この原稿は、山海堂において「クルマのお仕事」という書籍を出版するために2007年に小林氏のご自宅を訪ねて行った取材を元に書いたもので、小林氏の校閲も完了していましたが、山海堂の倒産により出版されることなく私のパソコンの中に取り置かれていたものです。氏の逝去に際して、自動車ジャーナリストという仕事に対する氏の思いを広くお伝えしたく、ここに公開することにしました。
自動車ジャーナリスト
小林彰太郎 さん
自動車ジャーナリストになるための心得
1
世界のエンジニアとの意見交換は必須
最低でも英語の会話能力は身につけよ
自動車を生産している国は、日本だけではない。海外で開催される試乗会での意思疎通に英語は必須。
2
常に媒体あっての自分だということを
忘れぬ振る舞いを心がけること
企業や地位ある人物の丁重な対応は、媒体での素敵な記事を期待してのこと。自身の力と過信するな。
3
個人的な偏見にとらわれず、
平等な視線で評価する理性を忘れずに
私情にまみれた評論は、読者にメリットがないばかりか、あらぬ誤解を与えてしまう。常に公正で。
日本の自動車ジャーナリズムの草分けかつ、第一人者。カーグラフィック誌(二玄社)の創刊編集長であり、現在も同誌編集顧問、フリーランス自動車ジャーナリストとして各方面で活躍。「小林彰太郎の世界」(二玄社)他、著書多数。
「数多くのクルマの魅力に常に触れ、知ることができる喜びは
自動車ジャーナリストだけの特権です」 …… 小林彰太郎
多くのフリージャーナリスト同様、小林さんの原稿も自宅の書斎から発信される。執筆に必要な資料は別の部屋に揃えてあるそうで、書物に埋もれた仕事場という印象ではなかった。
原稿用紙と万年筆ではなく、パソコンで書かれた原稿をメールで寄稿するのは今どきの時流。けれども多くの人脈と予定を管理するスケジュール帳は、アナログ。
自身の自動車への興味の焦点がメカニズムにあるという小林さんは、今でも自宅のガレージでクルマいじりを楽しむ。ここが小林流ジャーナリズムの原点なのだ
自動車ジャーナリストというのは、エンターティナーです。記事に紹介されてるクルマがトータルとしてどういう1台なのかということを、読者が豊かにイメージして楽しめる情報を文章というかたちで表現しなくてはなりません。そのためには、表現者として身につけておかなければならないことがいくつかあります。
まずできるだけどん欲に、ありとあらゆるクルマに乗ってみることです。けれども自分で持てるクルマの数なんて、たかが知れてます。始終買い換えるわけにはいかないし、高価で高性能なクルマはそうそう持てるものじゃありませんからね。ですから、興味があるクルマがあれば、お願いだから乗せてくださいと頼み込んででも乗ってみるべきです。その辺をひとまわりするだけでもいいんです。もし海外旅行をする機会があれば、レンタカーでもいいですから、ご当地の自動車メーカーのクルマで走ってみるのも、大いに有意義です。自動車というのは、道路の産物といった趣が強い工業製品ですから、日本で乗っているだけでは気づかないような新たな発見があるはずです。もちろん、ただ漠然と運転するだけではなく、分析的な目を持って乗らなくてはなりません。そして、その印象をノートに残しておくべきです。そうやって、少しでも多くの経験を積むことが、まずとても大切なことなのです。
またこの仕事には、書き手としてのスキルも求められます。ロードテストでは、計測器を使って数値として表されるデータを収集することは当然大切なことですが、それを単なるレポートのような文章でしか表現できないようでは困ります。読者がワクワクと心躍らせるような内容で、そのクルマを生き生きと表現しなければならないんです。そのためには、いい文章をたくさん読むことです。フリーの自動車ジャーナリストを目指すのであれば、いずれ海外で取材を行う仕事も来るでしょうから、少なくとも英語での読み書きや、意見交換できる程度の会話力は必要になります。欧米の自動車雑誌には、今でも魅力的な記事にあふれたものがたくさんありますから、そのような雑誌を通じて表現力や語学力を勉強しておくといいでしょうね。
クルマの魅力を正しく評価して、媒体を通じて広く伝える仕事。
自動車ジャーナリストとは……
よく自動車ジャーナリストであるからには、抜群に秀でたドライビングスキルがないと務まらないのではないかと考える人がいるようです。でも、このことに関してはそれほど心配する必要はありません。ただし、基本をしっかり学んでおくことは大切です。実は運転のいい先生というのは、なかなかいないもので、結局は自分で体験しながら身につけていくよりないのですが、何をやっても安全な場所を見つけて、そこで思い切ったことをやってクルマの挙動を体感すればいいと思います。身近にそのような場所がなければ、ジムカーナ場などで開催されるレッスンを受けてみるのもいいでしょう。いずれにしても、クルマというのは、扱いようによっては人を殺す凶器にもなりうるということを常に頭のどこかにおいておかなければなりません。クルマの限界付近での挙動を知ることは、ドライビングスキルを向上させると同時に、その意味の重要性を認識することにもなりますから、これもとても有意義な経験になるはずです。
さて公的な許可が必要なわけでもなく、運転免許証さえあれば資格としては十分な自動車ジャーナリストですが、いきなりフリーのジャーナリストとして活躍するのは、まず無理だと思っていいでしょう。どんなに立派な肩書きを書いた名刺を刷ったところで、誰にも相手にしてもらえなければ仕方ないですからね。ですからまずは、自動車雑誌の編集部員として、出版社に入ることが常套手段だと考えていいと思います。新米のうちは、記事を書かせてもらえることなど皆無だと思いますが、試乗車の借り出しなど先輩記者の雑用をしながら、自分なりの原稿を書いてみるのもいいでしょう。もちろん誰が読んでくれるというわけでもありませんが、そうやって自分自身で密かに実力を蓄えて、いよいよ小さな記事を任せてもらえたときのために備えておくわけです。フリーの自動車ジャーナリストへの道を進むか、編集部に残るかは、そうやって経験を積みながら決めてもいいと思います。
ただし特定の媒体の後ろ盾がないフリーのジャーナリストは、相応に厳しい世界です。その道で一人前になれたかどうかの見極めは、自分以外の人間が決めることですからね。あなたに書いて欲しいという依頼が出版社から来るようになって、やっとこプロのジャーナリストの階段のいちばん下にたどり着けたかなと思ってもいいでしょう。
それでもこの仕事は、自動車が好きで、それもエンジニアリングに興味があるのなら、こんなに面白い仕事はないと思うんです。なんたって、ありとあらゆる新型車に乗れて、しかも多少なりともお金をもらえるとしたら、そんなにありがたいことはないと思うわけです。私は口幅ったい言い方をすれば、日本の自動車ジャーナリストの先駆けとして活躍することができました。運よくベストセラーでも出せれば、それなりの対価を得ることもできるでしょうが、総じて大金持ちを目指して就くような仕事ではありません。それでも私は、この仕事をやってきて本当によかったと思っています。心底クルマが大好きで、それを探求して文章で表現したいと思うなら、若い諸君にもぜひとも目指して欲しい仕事だと思います。自動車に対する一途な気持ちがあれば、生涯続けていける仕事です。私が長く続けてこられたのも、まさに同じ理由ですからね。これっきゃできなかったわけです。私の場合は、まさにそういうことなんですよね。
2007 Tokyo, Japan
text, photo / Munehisa Yamaguchi