ブルーノ・サッコ氏と大好きなクルマのデザイン。
2024/09/29 03:49 Filed in: クルマの話
ブルーノ・サッコ氏が亡くなった。
このブログを読んでいる皆さんの多くは、あの頃系メルセデスの愛好家だと思いますので、氏については今さら説明の必要がないでしょう。いろいろ書きたいことはありますが、けっこうな夜中になってしまったので、昔書いた原稿をそのまま貼り付けておきます。2009年にジャーマンカーズ誌に「ネオクラシック特集」用として20ページ分くらい寄稿したもののうち、デザインについて書いたものです。入稿時のものをそのまま貼り付けますので、誤字、脱字等についてはご容赦ください。誌面の切り抜きはどこかに紛失してしまったので、写真はメルセデス・ベンツのメディア用サイトから拝借したものを使用します。
ネオクラシックな世代のドイツ車の魅力、まずはデザインから検証してみよう。目の前に、アルピナB9/3・5クーペを用意した。GC読者の皆さんには説明の必要もない名車。言うまでもなく、BMW6シリーズ・モデルE24をベースに、ブルカルト・ボーフェンジーペン氏率いるアルピナが、選ばれし特別なオーナーのために仕立てた大人のハイパフォーマンスロードカーである。
世界でもっとも美しいクーペと称されたこの6シリーズのスタイリングは、登場から30年以上が経た今日に至ってもなお、堂々とその英明を引き継ぐことができる新たなクーペの存在が怪しいほど、美しい。
撮影のためにスタジオに持ち込み、日常ではあり得ないほどの強い光で照らしてみる。すると、ハイライトはただ白く跳ね返るだけでなく、そこに必ず特徴的なフロントマスクへと収斂するエッジが現れることに気づく。躍動感にあふれる。エッジを挟んだ対称面の黒い影の中にさえ、見えないはずの線を知らず知らずのうちにイメージしてしまう。深い。
スタジオの壁ぎわまでゆっくり十歩さがって、クルマのそばを忙しく動く撮影スタッフ越しに静かに眺める。人間がそばにいることで、このクルマは、ただ美しいだけでなく、この上なくふくよかで、安心感が漂い、涙が出るほどのやさしい表情になる。気持ちが落ち着いてゆく。
工業製品におけるデザインの難しさは、カタチが機能を包むためのスキンであるという前提を越えられないことにある。デザイナーたちは、まずその壁に立ち向かう。エンジンやトランスミッション、サスペンションやタイヤなどの機関系コンポーネンツは、車両のコンセプト段階で決定された性能を発揮するために、すべてに最優先してレイアウトされる。もちろん乗員や荷物の空間も適切に配置されなければならない。
予算も限られている。たとえ素晴らしい造形が可能になることが分かり切っていても、決められた制限を超える素材や成形方法を用いることはできないし、それが量産を前提としたモデルであれば、予算管理は生産プロセスまでを含むことになり、デザインの自由度はますます収縮する。結果、大方の工業製品のデザインは、エンジニアと予算管理者と、デザイナーのせめぎ合いの中で、妥協の産物として決定される。
アーティスティックな才能の丈を存分に表現できるというわけではないという意味で、工業デザイナーは芸術家とはまったく異なる職業で、したがって生み出される製品は芸術作品などであるわけがない。目の前のアルピナも、例外ではない。
ところが、ときどき奇跡は起こる。目の前のアルピナが、まさにその一例である。ここまで普遍的な美しさを放つ工業製品は、本当に珍しい。
いよいよ本題である。なぜBMW6シリーズ・モデルE24は、こんなにも美しく誕生することができたのか。奇跡であるとしても、その背景に奇跡に結びつく事実はなかったのか。そもそも、6シリーズの美しさは、本当に奇跡の賜なのか。そして、なぜ次々と誕生してくる新しい世代のクルマたちが、このクーペを超える強い個性で“世界一美しいクーペ”の座を奪うことができないのか。
その答えを見つけるために、興味深いストーリーを紹介しよう。ネオクラシックは、なぜ美しいのか。
“1933年”という
奇跡のキーワード
僕らが大好きなW124やW201、W126などのGC的世代のメルセデス・ベンツは、ブルーノ・サッコというイタリア生まれのデザイナーの作品だ。サッコはそのほかにも、R129やW140も手がけていて、まさにGC読者が夢中になっているベンツの造形は、すべて彼の手によるものだと言っても過言ではない。
'58年にダイムラー・ベンツに入社したサッコは、フリードリッヒ・ガイガーという老練なドイツ人デザイナーの下に配属され、彼がリーダーを務めるデザインスタジオでカーデザインに対する造詣を深めてゆく。一般に自動車メーカーにおけるデザイン部の構成はチーム制で、リーダーの主宰するスタジオごとに作業が進められることが多い。サッコが就いたガイガーは戦前からベンツに籍を置くデザイナーで、戦前の500K、戦後の300SLクーペ&ロードスターが代表作だといえば、その実力たるや推して知るべしである。
サッコが配属されたガイガーのデザインスタジオには、1年前から同じくガイガーの下で働くことになったもうひとりのデザイナーがいた。彼の名は、ポール・ブラック。フランス生まれのブラックは、すでにベンツの先行デザインに関するチーフの立場で活躍しており、W100=600リムジンを皮切りに、W111/112、113、108、109、114、115という、いわゆるタテ目のベンツをガイガーのサポートの下で次々と完成してゆく。
いわばガイガーの一番弟子として、ベンツのデザインの一時代を築いたブラックは、'67年にベンツを去り、フランス版新幹線、TGVをデザインした後、'70年にBMWへ入社。ミュンヘンオリンピックを記念して製作されたコンセプトカー・BMWターボを手始めに、5シリーズE12、3シリーズE21、そして6シリーズE24、7シリーズE23といったモデルをデザインディレクターの立場で取りまとめていく。逆スラントフェイスにキドニーグリルと丸いヘッドライトのあのBMWフェイスは、タテ目のベンツを描いたのと同じ頭脳と感性の下に完成されたのだ。これらのモデルのデザインコンセプトが、現代の各モデルに至るまで、BMWのスタイリングに強い影響力を残し続けていることは周知の事実である。
ブラックの残した仕事について知った後で、目の前の6シリーズを眺めると、なるほどタテ目のベンツに通じるやわらかい造形が見て取れるような気がする。これはあくまでも個々の主観による感想が最優先されるべきだから、みなさんも各自、それぞれの感想を抱いてみてほしい。
さて、ガイガーの二番弟子としてベンツのデザインスタジオでキャリアを積み重ねてきた我らがサッコはというと、'73年のガイガーの引退を受け、翌年にベンツのデザインスタジオの責任者に就き、その後は前述の通り、GC的ベンツの各モデルを次々と完成させることになるわけだ。
長々とした事実関係を読み切ってくれたことをみなさんに感謝しつつ、ふと、こんなことに気づかないか?という問いかけをしたい。
メルセデス・ベンツとBMW、中でも僕らが大好きで、この先もずっとずっと大切にしてゆきたいと思える世代のドイツ車は、たった2人の才能が、ほぼすべてを描ききっているのではないか、ということだ。
もちろんクルマのデザインは、チームで取り組むべき要素が少なくなく、例えばBMWの5シリーズに関しては、ベルトーネに在籍していた頃のマルチェロ・ガンディーニが副デザイナーとして参画していたという記録があるし、6シリーズにおいてもベルトーネの面々との関わりはあったようだ。けれども、デザイン・コンペティションの舞台へと上がってくる何十、何百の提案を選定し、1枚のスケッチを高みへと極める任を完璧にこなし、僕らが大好きなGC的世代のドイツ車をデザインしたのは、ポール・ブラックとブルーノ・サッコのたった2人のデザイナーなのだ。彼らをカリスマと呼ばずして、他にどう表現すればいいのか。
さらに驚くべき事実がある。我らがカリスマのこの2人は、20世紀カー・オブ・ザ・センチュリーの25台に選ばれた300SLを描いたフリードリッヒ・ガイガーという才能の下に机を並べ、世紀の大師匠の前で戦われるコンペティションを勝ち抜くためのデザインワークに共に切磋琢磨したライバル同士でもあるのだ。
もっと言おう。フリードリッヒ・ガイガーが夢高くダイムラー・ベンツに入社したのは1933年。奇しくもポール・ブラックとブルーノ・サッコともに、同じ1933年にこの世に生を受けている。存在自体に因縁すら感じる独・仏・伊の3人のデザイナーの残した仕事を知るにつけ、つくづく美への感動は、個人の仕業に対する崇拝なのだなと思わずにはいられない。そうは思わないか?
アーティスティックな造形が
許されたネオクラシックな時代
前段で、工業製品におけるデザイナーの憂鬱についてお話しした。残念ながら、BMW6シリーズ・モデルE24を超えたと誰もが認める美しいクーペは、未だに登場していないことも多くのGC読者に同意してもらえると思う。そして、実は同じ師匠の下で修業した、たった2人のカリスマに、心を奪われてしまった我々なのだという事実も判明した。
それでは、なぜ次はないのか。どうして3人目のカリスマは、現れてくれないのか。そもそもクルマにとって、デザインとは何なんだ。
今年上半期の話題を独占した、プリウスとインサイト。GCの読者の中には、ひょっとしたらもう忘れてしまった人もいるかもしれないが、両車のカタチを思いだしてほしい。私の周りの多くの人は、よく似てるよねと言っていた。燃費のために空力性能を追求すると、やっぱり同じようなカタチになるんだねと言っていた。ま、確かに似ていると言われればその通りだが、私はトヨタとホンダのデザイナーは、共によく頑張ったと思っている。つまり、よくぞあそこまで違うカタチに持っていったもんだと思うわけだ。
ハイブリッドシステムの仕組みが違う両車は、乗員数やサイズなど、基本的なコンセプトは酷似していても、スキンの下に包み込む内容物の違いによって、まったく同じカタチにはならない。けれども、それはブラックが6シリーズを描いたときほど自由な造形が許されているということと同義ではない。いちばんの理由は、空力に於ける性能要件が極端に高まってしまったことにある。
クルマに限らず乗り物は、速度が高まるにつれて、急激に空気による影響を受けるようになる。コンサバティブなセダン型の乗用車でも、速度が60km/hに達した時点で、空気抵抗の大きさが全走行抵抗の半分を超えると言われている。もともとアウトバーンでの高速走行が開発の前提にあるドイツ車では、空力抵抗の軽減だけでなく、あらゆる意味での空力性能の向上に寄与するためのデザインアプローチが見られた。目の前のアルピナに装着されたチンスポーラーやリアスポイラーもそうだし、極端なほど分かりやすい例で言えば、ポルシェの巨大なリアウイングなどは、速く安全に走るための理屈に基づいて徹底的に磨き込まれた結果の造形に他ならない。
ところが、世の中は徹底的な高効率、つまり燃費の向上をすべてのクルマに備えさせなければならない時代に突入した。こうなると、4つのタイヤとお約束の機関類、そして乗員と荷物のための空間といった、クルマの構成要素が変わらない限り、カタチは極端に似通ってくる。ボーイング社とエアバス社には何種類もの飛行機が存在するが、丸い胴体と主翼と3枚の尾翼の有り様は、誰にでも見分けが付くほど違ったりしないのと同じことだ。飛行機は、性能的なデザイン要件のほぼすべてが空気そのものだから、あぁいうふうにしかならないのだ。
カーデザイナーの仕事は、大きく変わりつつあるのかもしれない。それは、今回登場した3人のデザイナーたちが、工業デザイナーとしての制約を受けつつも、造形そのもので明らかな個性を表現する余地が大きく残されていたのに対し、もはや世界中の自動車メーカーのコンピュータがはじき出す似たような正解を、それぞれのメーカー製らしく見せるためのリフォームに限定されてしまったのではないかということだ。すべてのエンブレムを外し、窓や灯火類をまっ黒に塗りつぶしてなお、どの角度から見ても車名が一目瞭然で答えられるような個性的な造形を持った新車が、どれだけ存在するのか。
造形に対する感覚は、極めてアーティスティックな要件だから、個人の才能に因るところが大きい。偉大な作曲家がひとりで何曲もの名作を残すように、クルマにおいても同じことだ。カリスマデザイナー、大歓迎。最高のデザインは、組織の合意で生まれるものなんかじゃ、ない。
もちろん、21世紀のカリスマデザイナーが登場してくれることを、心から望んでいることは、みなさんも同じだと思う。我々凡人が思いもつかない手法で、ブラックのような、サッコのような作品を生み出して、僕らを魅了してほしい。けれども、その時が来るまでは、性能要件が穏やかだった分だけ、時代を遡ればのぼるほど、きらめくアーティスティックな才能に触れることができる。ネオクラシックは、だから美しい。
Bruno Sacco
1933.11.12 - 2024.9.19 享年90
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