NS号
「NS号」日本自動車殿堂に登録されました。
2024/11/14 02:59 Filed in: 日記っぽい話
島津楢蔵が1909年(明治42年)9月に製作した「NS号」が、日本初のオートバイを理由として日本自動車殿堂の歴史遺産車に登録されました。その伝達式が、昨日、千代田区神田の学士会館で行われ、島津楢蔵の親族ということで同事務局から名代を仰せつかり参列してきました。
壇上で読んだ挨拶文です。
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最近、NHKの「坂の上の雲」の再放送を観ています。主人公の軍人 秋山兄弟、俳人 正岡子規、作家の夏目漱石、森鴎外までも、変革の礎となった偉人たちが同時期に同窓とも言える近さで感化しあう偶然が、互いの士気を鼓舞し、大きな成果につながる活動の原動力となっている様に改めて驚いています。
歴史を振り返ると、音楽、文学、政治などのあらゆる分野において同様の事例を見つけることができるのですが、本邦モータリゼーションの起源においてもまた同様であります。
今回、選考委員の皆さまのご解釈により、日本自動車殿堂へ登録されることになった明治42年作の「NS号」にも、それを製作した島津楢蔵の決意を促す人たちの姿があったことに、製作者の末裔として謝意を表さずにはいられません。
持ち時間の都合でここで詳しくは申し上げませんが、東洋工業(現・マツダ)を創設された松田重次郎氏、豊田式織機を興し後にトヨタ自動車へとつながる流れの礎を築かれた豊田佐吉氏という錚錚たる偉人が、人生の先人として若き楢蔵と関わりのあるところに居られたことは、楢蔵のガソリンエンジン、そして「NS号」の創作意欲に強い追い風を吹かせたことを容易に想像させます。
そしてその後、楢蔵とその実弟である銀三郎が揃って航空機用エンジンの先駆者として各地の展覧飛行会に赴いていた頃、浮かび上がる機影を見上げる少年時代の本田宗一郎氏の姿がありました。
本邦初のオートバイとして「NS号」がこのような栄誉に与ることを受け、かつて本邦には間違いなく新しい世代の活躍に追い風を吹かせる先人の存在があったこと、そのような風を受けた者たちが一心不乱に未到の成果を求めて励むことを良しとし、後世へと継承されてゆく風潮があったことに思いを馳せ、わずかでもその気配復興の助力となる活動ができれば、末裔として先祖に成り代わり日本自動車殿堂入りの恩義に報いるのではないかと思うところです。
本日は、「NS号」の日本自動車殿堂入りを賜り、誠にありがとうございました。
令和6年 11月13日 モータージャーナリスト 山口宗久
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日清、日露戦争を経た明治期の世情、もちろん想像するしかない120年ほども昔のことですが、十代後半から二十歳頃の前のめりな青年を抑え込んでしまうことなく、背中を押すような態度で接した大人たちが生み出した楢蔵による「NS号」誕生でもあったと確信しています。
楢蔵にひとかどの才能があったことは疑う余地のないことですが、同時に、思い込みと理想だけで突っ走る若気の青さが人一倍強かったことと、その様子を楽しむか如く鼓舞する……ある意味無責任な楽しい大人たちの存在があったこと。そして、当時も間違いなくあったはずの、この世を支配するかのような巨大な組織の都合に左右されない個の強さを、推される方にも推す方にも感じます。わたしもわずかでもそのようであるように、見習いたいものです。
式典の写真は「二輪文化を伝える会」の松島 裕さんが撮ってくださいました。
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