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大好きなクルマと大好きな音楽と。

パワーアンプを車内のどこに置くべきか。






今はたった1つだけになった雑誌の連載、歳を重ねるごとに産みの苦しみが大きくなってきてます。以前に比べると圧倒的に書きの量が減ったことが原因なのか、単に脳が寝ぼけてきているのか。いずれにしても、何時間Macの前に座っていても一歩も進まないようなときは、いったん別のことに集中するしかない性分は昔から変わりません。

ギターを弾いたり本を読んだり……もできない気分のときは、溜まっている別の仕事に掛かります。例えば、ヤマスピ関係のこと。複数の別作業が団子になっていて、こっちはこっちでアタマがこんがらがりそうですが、10月末〜11月中にI.Y.A.Garage で取り付け&セットアップを依頼するクルマ用のパワーアンプボードを仕上げることにしましょう。。。。

で、3つ仕上がりました。

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左上は、現在BassPLUS+までのDSPセットアップで楽しんでいただいているNDロードスターオーナー氏が、2024年モデルND-RFに乗り換えるということで、この機に3Dシステムを実現しましょうという提案を実現するためのアンプボードです。この方はすでにSR4.500というパワーアンプに、AP4.9bitというDSPパワーアンプを加えたシステムを組まれていてですね、とても気に入っているSR4.500で鳴らすメインスピーカーの音を残したいとのこと。確かに、audison製のSRシリーズというパワーアンプは、ぐいぐいととても力強い音傾向があって、これは力強さと繊細さを兼ね備える傾向のAP FやAFシリーズとはまた違う趣がいい感じなんです。ロックやブルース、ソウル、ゴリゴリ系のジャズの熱い要素に痺れちゃう人には、この深イイ感じの鳴り気配、ほんとうにお勧めです。アメリカ製だった頃のロックフォードのアンプと同傾向、ギターならストラトキャスターではなくレスポールのフロントみたいな……わかりませんね。ともかく、3D化のために必要な9チャンネル分を確保するために開発車から外したJBLパワーアンプを追加したシステムで組むことにしました。

上記とおなじロードスターのための右となりのアンプボードは、AP 4.9bitというDSPパワーアンプをトランク右側の内装材の裏に取り付けるためのものです。NDロードスターのRF(ハードトップ)モデルでは、車内シート後方中央の小物入れが車両の構造上パワーアンプ収納のために使えません。現在お乗りの幌車では小物入れ内に設置してあったのですが、新しいクルマではトランク右側に引っ越ししてもらうことになりました。

その下は、これも2024年モデルのND-RFに装着するためのアンプボードです。AF M8.14bit、AF M1Dを使ったNDロードスター用の3Dシステムは、現時点でわたしが実現できる最高峰のNDロードスターのための音楽環境です。

右となりの小さなボードは、B-CONというハイレゾBluetoothの受信機です。LDACという規格を備えたBluetoothガジェットからの電波を受信して、光デジタル出力します。光出力にはTosLinkという規格の端子が使われるのですが、これがとても弱々しくて不安定な端子なんです。東芝が1983年に開発した規格ですが、家庭用としての規格で、車載される可能性などイチミリも想定してなかったんでしょうね。


で、実はここからが本題です。相変わらずの長大枕でごめんなさい。


カーオーディオのパワーアンプ、どのような取り付け方がベストなのでしょうか。

わたしは、5つのことをテーマとして自分に課しています。

A)車両に加工・改造を施さないこと。
B)車両の機能をできるだけ残すこと。
C)車両の純正デザインをできるだけ崩さないこと。
D)交通事故という万が一に徹底的に配慮しておくこと。
E)格好がいいこと。

A)は、yamaguchi speaker system 全体を通じてのテーマです。豊かな音楽環境を実現することは多くの人にとっての夢であり、わたしにとっての目標でもあります。けれどもそのために、大切な愛車に加工や改造を加えるようなことは絶対に避けるべきだとも思っています。すでに何十年も生き残ってきた貴重な車体はもちろん、今は新車でも長く乗り続けるつもりがあるなら、悪いことは言いません、切った貼ったの改造は避けるべきです。元には戻らない傷痕を前に残念な思いをするときがきっと来ます。もし売却することになったとしても、加工や改造の痕跡は100%マイナス査定です。オーディオに限らず、どんなに高性能・高価格な装備品によるカスタムであっても、車体自体は無加工・改造であることがプラス評価の最低条件です。

B)例えばワゴンやバンのラゲージスペースを占有してレイアウトされたアンプ群や、トランクを開けると荷物の代わりに鎮座しているサブウーファーボックスを、わたしは好みません。クルマには、人や荷物が移動するというそもそもの目的があります。純正オーディオやカーナビ、ハンズフリーフォンなどの機能にも、快適なドライブのための工夫が盛り込まれています。そのような、もともと車両に備わる機能をできるだけ純正のまま残すこと。言い換えれば、スピーカーシステムをインストールすることによって消滅してしまう、そのクルマならではの機能・性能を可能な限り少なくすることをとても重視しています。例えばあの頃系メルセデスでは、セダンでもワゴンでもラゲージスペースをほぼ100%確保したままの取り付け方法を実現しています。マツダ・ロードスターやポルシェ空冷911でも同様です。NDロードスターでは、DSPフルシステムを組んだ場合でも、マツコネに備わる機能は完全に使えますし、例えばシートをフルバケットタイプに変更した場合でも、後付け感満載のスピーカー移設を行うことなく、ナビの音声案内やハンズフリーを可能にする方法を実現しています。

C)自動車メーカーのエンジニアやデザイナーと膝を付き合わせてじっくり話す機会が常套の仕事を長くしてきたことは、わたしの自動車に対する考え方にとても大きく影響しています。例えばデザイン。そのクルマを買ってくださったお客様が四六時中目にすることになるインテリア、中でもダッシュボードと呼ばれる前方に拡がった空間のデザインは、ほとんどの場合まったく手抜かりなく、担当するデザイナーたちの100%の力で造形されています。ヘッドライトを正面に見据えて眺めたときの外観の表情に勝るとも劣らない、ここがデザイナーの腕と感性の見せ所だったりするわけです。そして、その両サイドに腕を拡げたようにインテリア全体のデザインがつながってゆきます。ツィーターもメインスピーカーも、純正ままの内装材の向こう側に隠れるように取り付けられるように設計するのは、自動車メーカーのデザイナーと、デザイナー発の造形の実現を可能にしたエンジニアへの、わたしなりのリスペクトの証だったりします。言うまでもなくオーナー氏がそのクルマを選んだのは、わたしの作る音楽空間の遙か以上に、そのクルマが気に入ったからに他ならないからですものね。そう、パワーアンプの話でした。もちろんパワーアンプボードも、リアトレイの上に置いたり、ラッゲージルームの印象が変わってしまうほど存在を主張させたりしません。

D)クルマは100km/h以上の高速で、人を乗せて、進路を約束された軌道上ではないフリースペースを、自らもそうであるように様々な事情や状況や都合の下に繰り出してくる不特定多数の未知の人たちと混在した状態で移動する乗り物です。つまり、不可避の交通事故が発生する可能性を否定することはできません。そのときに、わたしが車両に取り付けたものが、それを選んでくれた方やその方の大切な人たちを傷つけるようなことは絶対にあってはならないと考えています。これも、自動車ジャーナリストとして自動車を研究するエンジニアたちとの交流が与えてくれた知見ですが、いわゆる衝突を伴う交通事故の発生時、車内はとんでもない事態に陥ります。荷物の類はもちろん、しっかりと固定されていないあらゆるものが勢いよく飛び回ります。例えば50km/hで衝突事故を起こした場合、近年の車体は衝突の加速度を直接乗員に与えないように、グシュグシュと潰れながら衝突エネルギーを時間で分散させる手法で命を守ります。けれども車内に無造作に置かれたものたちは、衝突した速度で射出されて、もはや空中に飛んでしまったそれらの勢いを抑制する理屈などなく、何かにぶつかったときに急激にゼロkm/hの速度まで減速します。もし乗員の顔面に2kgほどあるパワーアンプ、つまり金属の塊が50km/hで衝突したら……。あるいはシートの下に簡単に設置されたパワーアンプが、何かの衝撃で前方に滑り出してペダル類の操作を妨げるようなことになったら……。そういう不幸の原因になりたくない気持ちがあることは、自動車用品を設計する人に絶対に求められる条件だと思います。わたしが作るパワーアンプボードは、ただの取り付け板ではありません。すべて、ボルトを使ってしっかり車体に固定される仕組みになっています。マジックテープで貼り付けるみたいなことでいいわけ、ないだろうと、わたしは考えます。そして、それらを車両への加工・改造ゼロで実現する方法を見つけるのが、わたしの小さなやりがいだったりします。

E)まあ、見た目の格好がいいか悪いかは、つまり好みか好みでないかということで、各人の嗜好の違いによるところが大きいという意味では、なんという稚拙な課題だとも思うわけです。なのでこの項は、上記A〜E)までを実現するために与えられた条件、制約の中で、ヤマグチ的にそう感じられる精一杯の努力義務的なヤツだと思ってください。それでも、手に入れようと感じる憧れや、手にしたときのトキメキ、自分のものとして日々を共に過ごす満足感優越感達成感、とか、そういう事ごとを高めるための要素として、格好いい! ことは、とてもとても大切だと思うわけです。この項に関しては、まあそれだけです……w


上記の要素を満たすために、例えばNDロードスターでは、下の4つの取り付け方法を用意して、複数台のパワーアンプを使用する場合は、オーナーのクルマの使い方に合わせた組み合わせで対応するようにしています。

1)NDロードスターのパワーアンプ取り付け場所として、最初に設定したのがシート後方中央の小物入れです。〜2023年モデルCD/DVDプレイヤー有、〜2023年モデルCD/DVDプレイヤー無、2024年モデル〜、の3種類ボード形状があります。ND-RFモデルでは、この場所を選択することができません。
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2)は(1)の次に設定したのがトランク左奥壁面です。SR5.600、SR4.500の外寸が大きなパワーアンプは、この位置への取り付けが標準となります。この場所の裏側には、給油口から燃料タンクへつながるホースやパイプ類があります。万が一、トランクスペースが全壊するような追突事故に遭った際にもそれらを傷つけることがないよう、アンプボード背面に突き出すねじの高さや形状などに細心の注意を払ったデザインとしています。もちろんAP、AP F、AF M/C といったわたしが使用しているすべてのパワーアンプは、この場所に設置することができます。

3)は、2台目のパワーアンプを設置するために(2)の次に設定しました。SR5.600、SR4.500 以外のすべてのパワーアンプに対応できます。
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4)内装材の裏側に見つけたわずかな空間を利用したこの設置位置は、内装材を組み戻すとパワーアンプの存在を完全に隠すことができます。すなわち、トランク容量を完全に100%確保したままの取り付けが可能になります。ヤマスピを愛用してくださっているマツダ元副社長・藤原清志氏のNDロードスターには、(1)と(2)の組み合わせの3Dシステムをセットアップさせていただいたのですが、後日「機内持ち込み用スーツケースx2個の積載が可能」という開発コンセプトがキープできなかったのは残念だ、というコメントをいただきまして。わわわ、そういえばそのコンセプトを自分も知っていたはずなのに、自分で設定した(B)のコンセプトを守れていないじゃないか!とかなり焦って編み出した取り付け方法だったりします。AP、AF Cシリーズは木製のボード、AP F、AF MシリーズはCFRP製のボードとなります。大型のアンプを搭載するCFRPボードの裏面には、バンパーカバーの裏側に隠れている車体既存の空気抜き口の辺りと重なる位置にアルミ製の放熱フィンを取り付けています。(1)が使える幌車であれば、(1)と(4)の取り付け位置を組み合わせることで、いちばん下の写真のようにトランクスペースを100%確保したまま、ハイパワー仕様の3Dシステムを完成させることができます。つまり、2人分のスーツケースをトランクに収めてヤマスピが提案できうる最高峰の音楽空間で2人の気分を盛り上げながら空港に向かうことができる、というわけです。

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そうそう、ご紹介したこれらの方法すべて、もちろん内装材の切れ込みひとつもなく、車両無加工・無改造で実現しています。いつでも、完全に純正の状態に戻せます。実はその実現がなにより難しいことだったり、します。



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Sクラスに乗るということ。






前回のブログで、大昔に雑誌へ寄稿した原稿をそのまま紹介してブルーノ・サッコ氏を偲びました。書き手にしてみれば、過去恥部のカタマリのような文章ですが、一部の方々からとても懐かしむ声が寄せられていまして。いまでも似たような雑誌はあるでしょうし、なんならインターネットをさらえば自動車の記事なんてゴマンとあるじゃないかと思うのですが、まあ褒める人あれば今の若いもんにもそれほど引けを取らない文章なんじゃないかと思い違いも簡単なわけで、ちょっとオヂサンうれしかったりもした次第です。

15年ほど前までは、とにかく朝から晩まで書いて書いて書きまくっても片付かないほどありとあらゆる種類の原稿を納めていたので、同程度のクオリティの原稿ならば、Macの中にごっそり残っています。うれしかったついでに、それほど喜んでくれる人がいるのならば少し掘り返してみてもいいかなと思い始めています。文字数の制限や、編集部や制作会社からのリクエストで当時の原稿に盛り込めなかった取材データの中に無数にある興味深い話を交えながら、またYOUTUBEに番組でも作って紹介するのも楽しいですね。

一部にびっくりするほど博識、経験豊富な人がいるのは確かですが、それ以外のほとんどの場合は自動車雑誌の編集部員だから自動車に詳しいなんてことはないので、テーマだけ与えられて、記事の切り口を含めた構成をまるっと放り投げられることも多かったので、お陰様でと言っていいやらどうやら、誌面作りに必要なコンテやら挿画を作るための原画として作ったデータもたくさんMacの中に残っています。そういうものを必要に応じてお見せしながら裏話と共に話しても楽しいと思います。。。ん、見てる人も楽しいのか? わたしは楽しそうだなと思っているんですけど。

で、以下はたしか2009年にオンリーメルセデス誌に寄稿したものです。例によって「Sクラスの特集をやりたいけど、旧い世代は任せます。切り口も含めて考えて4ページで提案してください」みたいなオーダーだったと思います。そのときは、対外的なSクラスの価値と社内に於けるモデルごとの商品としての役割という2つのことを、ホイールベースとリアシートの居住性の変遷から探ってみよう、という提案をして記事を作った記憶があります。

以下、当時の入稿原稿そのままです。挿画や表は、作画のためにこさえたデータなのでいい加減な感じで失礼します。マイバッハの写真は、1997年の東京モーターショーでプレス向けに配布された広報資料から使用しています。

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Sクラスに乗るということは、どういうことなのだろう。

メルセデス・ベンツは、同種の乗用車を製造するメーカーの中における自動車ヒエラルキーと呼んでもいい格付けの中で、頂点に君臨するメーカーだ。ロールスロイスやベントレーは、もはや純然たるメーカーではないし、長い歴史に裏付けられた格調の高さや、新型車が発表されるたびに盛りこまれる最新技術の開発力をみても、これは明らかだ。また、もとよりフェラーリやポルシェに類するクルマはメルセデス・ベンツには存在しない。


そして同様に、メルセデス・ベンツは、自社のモデルの中にも厳然たるヒエラルキーを与えている。言うまでもなく、Sクラスは4ドアセダンというカテゴリーにおいて、頂点に立つ。そのポジションは、モデルの新旧を問わず生き続ける。97年に東京モーターショーで発表されたマイバッハのコンセプトカーのボンネットには、スリーポインテッドスターが輝いていた。けれども、Sクラスを超える車格のモデルがラインナップされることが社内で認められず、マイバッハという別ブランドからの発売に至ったことは有名な話だ。世界の頂点に立つメルセデスの中の頂点に格付けされた格式を手に入れること。それがSクラスに乗るということなのだ。

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1997年の東京モーターショーで発表されたマイバッハは、当時メルセデスの横浜デザインセンターに在籍していたオリビエ・ブーレイがまとめた。障子をイメージさせるルーフなど、和風な意匠も散見されるマイバッハは、この時スリーポインテッド・スターを冠し、Sクラスの上に立つ特別なメルセデスとして発売される予定だった。けれどもメルセデスにおいてSクラスを超えるセダンの存在は認められないという社内の方針により、マイバッハという別ブランドの下で発売された。その時メルセデスでの発売を主張した人物に、ダイムラーAGの現C.E.O.ディーター・ツッチェもいる。このことは、Sクラスとマイバッハの今後の関係に少なからず影響を与える可能性がある。

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メルセデスにおける頂点のモデルがSクラスと命名されてから、現行モデルで5世代を数える。そして、歴代のSクラスにはショーファー、つまりリアシートに招いたゲスト、あるいはドライバーに運転を託したオーナーのための快適な移動空間という役目が与えられ、そのために相応しいロングホイールベースモデルが用意された。ところが1モデルだけ、ドライバーズカー方向に発想をシフトしたモデルが存在する。4代目、V220である。メルセデスは、同時期に発売が開始されることになったマイバッハに純粋なショーファーとしてのポジションを与え、V140までが担っていた最高級のドライバーズカーとショーファーの二役を分離した。もっともW220においてもマイバッハまでは必要ないという顧客のために、ロングホイールベースモデルのV220は変わらず設定されたし、全席においてSクラスの名に恥じない快適性は保たれたが、先代よりもグンと小振りになり、これまで拡大の一途を辿っていたホイールベースが初めて縮小された。その影響は、アウトバーンにおける超高速走行時の効率を高めるための滑らかに空気をいなすルーフ後端の形状と相まって、後席頭上の空間に顕著に表れた。このことはショーファーとしての魅力を薄めることにつながる結果となった。この1点において、V220のSクラスとしての資格に疑問を唱えるメルセデスファンが存在することは確かだ。果たして、V220をどう判断するか。

少なくとも私は、V220も歴代のモデルに並ぶSクラスの資格を備えていると思っている。確かにショーファーとしての用途を優先したい層に、V220を積極的に勧めることはしない。けれども最初にお話ししたように、Sクラスを所有する悦びとは、まず第一義に最高峰のメルセデスという格式を手に入れることである。言うまでもなく、その格式とはメルセデス自身が授けるものだし、そのためにV220に盛りこまれた快適性や高い安全性、操縦性は、紛うことくSクラスたる高次元なものだ。

そして、後継のV221が再び拡大方向にシフトしたことをことを知るにつけ、Sクラスというヒエラルキーを享受しつつドライビングできるコンパクトなセダンが、近い将来において登場することは考えにくい。さらにV220がすでに新車ではなく、中古車としての購入の動機の多くがマイカーであることを考えると、ショーファーとしての後席の意義はそれほど大きな問題にならないのではないか。V220、コンパクトとはいっても、家族のためのセダンとしては十分以上なサイズであることは、一見すれば十分にお分かりだろう。

最後に1つ。いや私はV140派なのだ、というのであれば、それはもちろん大いに結構。もし私が子供であれば、ダイアナ妃も座ったあの広大な後席に私を乗せてドライブに出かけてくれる父親など、夢のまた夢の贅沢なのだから。


オンリーSクラス車両
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歴代のSクラスにおけるホイールベースの変遷をW126以降のモデルで比較してみた。W126が先代のW116より、すでに100mm長いホイールベースを備えて登場していることを振り返ると、ホイールベースを前モデルから縮小したのはW220のみである。もっともW220であってもW126と同等のホイールベースを備えるロングホイールベースカーであるが、高速走行時の良好な空力特性を持つルーフラインが与えられ、その結果それ以外のモデルにくらべて後席頭上のスペースをわずかながら狭めている。後席シートバックの角度と乗員の頭の位置が示す線に、ショーファーとしての資質の大小を見ることができる。その背景にマイバッハの存在があったことは、言うまでもない。




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ブルーノ・サッコ氏と大好きなクルマのデザイン。






ブルーノ・サッコ氏が亡くなった。

このブログを読んでいる皆さんの多くは、あの頃系メルセデスの愛好家だと思いますので、氏については今さら説明の必要がないでしょう。いろいろ書きたいことはありますが、けっこうな夜中になってしまったので、昔書いた原稿をそのまま貼り付けておきます。2009年にジャーマンカーズ誌に「ネオクラシック特集」用として20ページ分くらい寄稿したもののうち、デザインについて書いたものです。入稿時のものをそのまま貼り付けますので、誤字、脱字等についてはご容赦ください。誌面の切り抜きはどこかに紛失してしまったので、写真はメルセデス・ベンツのメディア用サイトから拝借したものを使用します。


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ネオクラシックな世代のドイツ車の魅力、まずはデザインから検証してみよう。目の前に、アルピナB9/3・5クーペを用意した。GC読者の皆さんには説明の必要もない名車。言うまでもなく、BMW6シリーズ・モデルE24をベースに、ブルカルト・ボーフェンジーペン氏率いるアルピナが、選ばれし特別なオーナーのために仕立てた大人のハイパフォーマンスロードカーである。

世界でもっとも美しいクーペと称されたこの6シリーズのスタイリングは、登場から30年以上が経た今日に至ってもなお、堂々とその英明を引き継ぐことができる新たなクーペの存在が怪しいほど、美しい。

撮影のためにスタジオに持ち込み、日常ではあり得ないほどの強い光で照らしてみる。すると、ハイライトはただ白く跳ね返るだけでなく、そこに必ず特徴的なフロントマスクへと収斂するエッジが現れることに気づく。躍動感にあふれる。エッジを挟んだ対称面の黒い影の中にさえ、見えないはずの線を知らず知らずのうちにイメージしてしまう。深い。

スタジオの壁ぎわまでゆっくり十歩さがって、クルマのそばを忙しく動く撮影スタッフ越しに静かに眺める。人間がそばにいることで、このクルマは、ただ美しいだけでなく、この上なくふくよかで、安心感が漂い、涙が出るほどのやさしい表情になる。気持ちが落ち着いてゆく。

工業製品におけるデザインの難しさは、カタチが機能を包むためのスキンであるという前提を越えられないことにある。デザイナーたちは、まずその壁に立ち向かう。エンジンやトランスミッション、サスペンションやタイヤなどの機関系コンポーネンツは、車両のコンセプト段階で決定された性能を発揮するために、すべてに最優先してレイアウトされる。もちろん乗員や荷物の空間も適切に配置されなければならない。

予算も限られている。たとえ素晴らしい造形が可能になることが分かり切っていても、決められた制限を超える素材や成形方法を用いることはできないし、それが量産を前提としたモデルであれば、予算管理は生産プロセスまでを含むことになり、デザインの自由度はますます収縮する。結果、大方の工業製品のデザインは、エンジニアと予算管理者と、デザイナーのせめぎ合いの中で、妥協の産物として決定される。

アーティスティックな才能の丈を存分に表現できるというわけではないという意味で、工業デザイナーは芸術家とはまったく異なる職業で、したがって生み出される製品は芸術作品などであるわけがない。目の前のアルピナも、例外ではない。

ところが、ときどき奇跡は起こる。目の前のアルピナが、まさにその一例である。ここまで普遍的な美しさを放つ工業製品は、本当に珍しい。

いよいよ本題である。なぜBMW6シリーズ・モデルE24は、こんなにも美しく誕生することができたのか。奇跡であるとしても、その背景に奇跡に結びつく事実はなかったのか。そもそも、6シリーズの美しさは、本当に奇跡の賜なのか。そして、なぜ次々と誕生してくる新しい世代のクルマたちが、このクーペを超える強い個性で“世界一美しいクーペ”の座を奪うことができないのか。

その答えを見つけるために、興味深いストーリーを紹介しよう。ネオクラシックは、なぜ美しいのか。



“1933年”という
奇跡のキーワード

僕らが大好きなW124やW201、W126などのGC的世代のメルセデス・ベンツは、ブルーノ・サッコというイタリア生まれのデザイナーの作品だ。サッコはそのほかにも、R129やW140も手がけていて、まさにGC読者が夢中になっているベンツの造形は、すべて彼の手によるものだと言っても過言ではない。

'58年にダイムラー・ベンツに入社したサッコは、フリードリッヒ・ガイガーという老練なドイツ人デザイナーの下に配属され、彼がリーダーを務めるデザインスタジオでカーデザインに対する造詣を深めてゆく。一般に自動車メーカーにおけるデザイン部の構成はチーム制で、リーダーの主宰するスタジオごとに作業が進められることが多い。サッコが就いたガイガーは戦前からベンツに籍を置くデザイナーで、戦前の500K、戦後の300SLクーペ&ロードスターが代表作だといえば、その実力たるや推して知るべしである。

サッコが配属されたガイガーのデザインスタジオには、1年前から同じくガイガーの下で働くことになったもうひとりのデザイナーがいた。彼の名は、ポール・ブラック。フランス生まれのブラックは、すでにベンツの先行デザインに関するチーフの立場で活躍しており、W100=600リムジンを皮切りに、W111/112、113、108、109、114、115という、いわゆるタテ目のベンツをガイガーのサポートの下で次々と完成してゆく。

いわばガイガーの一番弟子として、ベンツのデザインの一時代を築いたブラックは、'67年にベンツを去り、フランス版新幹線、TGVをデザインした後、'70年にBMWへ入社。ミュンヘンオリンピックを記念して製作されたコンセプトカー・BMWターボを手始めに、5シリーズE12、3シリーズE21、そして6シリーズE24、7シリーズE23といったモデルをデザインディレクターの立場で取りまとめていく。逆スラントフェイスにキドニーグリルと丸いヘッドライトのあのBMWフェイスは、タテ目のベンツを描いたのと同じ頭脳と感性の下に完成されたのだ。これらのモデルのデザインコンセプトが、現代の各モデルに至るまで、BMWのスタイリングに強い影響力を残し続けていることは周知の事実である。

ブラックの残した仕事について知った後で、目の前の6シリーズを眺めると、なるほどタテ目のベンツに通じるやわらかい造形が見て取れるような気がする。これはあくまでも個々の主観による感想が最優先されるべきだから、みなさんも各自、それぞれの感想を抱いてみてほしい。

さて、ガイガーの二番弟子としてベンツのデザインスタジオでキャリアを積み重ねてきた我らがサッコはというと、'73年のガイガーの引退を受け、翌年にベンツのデザインスタジオの責任者に就き、その後は前述の通り、GC的ベンツの各モデルを次々と完成させることになるわけだ。

長々とした事実関係を読み切ってくれたことをみなさんに感謝しつつ、ふと、こんなことに気づかないか?という問いかけをしたい。

メルセデス・ベンツとBMW、中でも僕らが大好きで、この先もずっとずっと大切にしてゆきたいと思える世代のドイツ車は、たった2人の才能が、ほぼすべてを描ききっているのではないか、ということだ。

もちろんクルマのデザインは、チームで取り組むべき要素が少なくなく、例えばBMWの5シリーズに関しては、ベルトーネに在籍していた頃のマルチェロ・ガンディーニが副デザイナーとして参画していたという記録があるし、6シリーズにおいてもベルトーネの面々との関わりはあったようだ。けれども、デザイン・コンペティションの舞台へと上がってくる何十、何百の提案を選定し、1枚のスケッチを高みへと極める任を完璧にこなし、僕らが大好きなGC的世代のドイツ車をデザインしたのは、ポール・ブラックとブルーノ・サッコのたった2人のデザイナーなのだ。彼らをカリスマと呼ばずして、他にどう表現すればいいのか。

さらに驚くべき事実がある。我らがカリスマのこの2人は、20世紀カー・オブ・ザ・センチュリーの25台に選ばれた300SLを描いたフリードリッヒ・ガイガーという才能の下に机を並べ、世紀の大師匠の前で戦われるコンペティションを勝ち抜くためのデザインワークに共に切磋琢磨したライバル同士でもあるのだ。

もっと言おう。フリードリッヒ・ガイガーが夢高くダイムラー・ベンツに入社したのは1933年。奇しくもポール・ブラックとブルーノ・サッコともに、同じ1933年にこの世に生を受けている。存在自体に因縁すら感じる独・仏・伊の3人のデザイナーの残した仕事を知るにつけ、つくづく美への感動は、個人の仕業に対する崇拝なのだなと思わずにはいられない。そうは思わないか?



アーティスティックな造形が
許されたネオクラシックな時代

前段で、工業製品におけるデザイナーの憂鬱についてお話しした。残念ながら、BMW6シリーズ・モデルE24を超えたと誰もが認める美しいクーペは、未だに登場していないことも多くのGC読者に同意してもらえると思う。そして、実は同じ師匠の下で修業した、たった2人のカリスマに、心を奪われてしまった我々なのだという事実も判明した。

それでは、なぜ次はないのか。どうして3人目のカリスマは、現れてくれないのか。そもそもクルマにとって、デザインとは何なんだ。

今年上半期の話題を独占した、プリウスとインサイト。GCの読者の中には、ひょっとしたらもう忘れてしまった人もいるかもしれないが、両車のカタチを思いだしてほしい。私の周りの多くの人は、よく似てるよねと言っていた。燃費のために空力性能を追求すると、やっぱり同じようなカタチになるんだねと言っていた。ま、確かに似ていると言われればその通りだが、私はトヨタとホンダのデザイナーは、共によく頑張ったと思っている。つまり、よくぞあそこまで違うカタチに持っていったもんだと思うわけだ。

ハイブリッドシステムの仕組みが違う両車は、乗員数やサイズなど、基本的なコンセプトは酷似していても、スキンの下に包み込む内容物の違いによって、まったく同じカタチにはならない。けれども、それはブラックが6シリーズを描いたときほど自由な造形が許されているということと同義ではない。いちばんの理由は、空力に於ける性能要件が極端に高まってしまったことにある。

クルマに限らず乗り物は、速度が高まるにつれて、急激に空気による影響を受けるようになる。コンサバティブなセダン型の乗用車でも、速度が60km/hに達した時点で、空気抵抗の大きさが全走行抵抗の半分を超えると言われている。もともとアウトバーンでの高速走行が開発の前提にあるドイツ車では、空力抵抗の軽減だけでなく、あらゆる意味での空力性能の向上に寄与するためのデザインアプローチが見られた。目の前のアルピナに装着されたチンスポーラーやリアスポイラーもそうだし、極端なほど分かりやすい例で言えば、ポルシェの巨大なリアウイングなどは、速く安全に走るための理屈に基づいて徹底的に磨き込まれた結果の造形に他ならない。

ところが、世の中は徹底的な高効率、つまり燃費の向上をすべてのクルマに備えさせなければならない時代に突入した。こうなると、4つのタイヤとお約束の機関類、そして乗員と荷物のための空間といった、クルマの構成要素が変わらない限り、カタチは極端に似通ってくる。ボーイング社とエアバス社には何種類もの飛行機が存在するが、丸い胴体と主翼と3枚の尾翼の有り様は、誰にでも見分けが付くほど違ったりしないのと同じことだ。飛行機は、性能的なデザイン要件のほぼすべてが空気そのものだから、あぁいうふうにしかならないのだ。

カーデザイナーの仕事は、大きく変わりつつあるのかもしれない。それは、今回登場した3人のデザイナーたちが、工業デザイナーとしての制約を受けつつも、造形そのもので明らかな個性を表現する余地が大きく残されていたのに対し、もはや世界中の自動車メーカーのコンピュータがはじき出す似たような正解を、それぞれのメーカー製らしく見せるためのリフォームに限定されてしまったのではないかということだ。すべてのエンブレムを外し、窓や灯火類をまっ黒に塗りつぶしてなお、どの角度から見ても車名が一目瞭然で答えられるような個性的な造形を持った新車が、どれだけ存在するのか。

造形に対する感覚は、極めてアーティスティックな要件だから、個人の才能に因るところが大きい。偉大な作曲家がひとりで何曲もの名作を残すように、クルマにおいても同じことだ。カリスマデザイナー、大歓迎。最高のデザインは、組織の合意で生まれるものなんかじゃ、ない。

もちろん、21世紀のカリスマデザイナーが登場してくれることを、心から望んでいることは、みなさんも同じだと思う。我々凡人が思いもつかない手法で、ブラックのような、サッコのような作品を生み出して、僕らを魅了してほしい。けれども、その時が来るまでは、性能要件が穏やかだった分だけ、時代を遡ればのぼるほど、きらめくアーティスティックな才能に触れることができる。ネオクラシックは、だから美しい。



Bruno Sacco
1933.11.12 - 2024.9.19 享年90



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情景が蘇る・情景を遺す、そういう音を。





みにくい「自前サーバーブログ」が続いていますが、もうしばらくご辛抱ください。facebookに寄せられた視聴環境ごとの見え方について、対策を検証しています。


この方のNAロードスターに音楽のある空間を加えさせていただいたのは、ちょうど1年ほど前になります。NAロードスタースピーカーシステムtype2、3Dシステム、BassPLUS+をDSPパワーアンプでセットアップするフルシステムです。

詳しいことは、過去に書いたブログに詳しく書きましたので、そちらをご覧になってください。

『音楽は、心に響くもの。』


一昨日、IYAGarage へ試聴に来てくださった方にも訊ねられたのですが、わたしがスピーカーシステムを通じて創りたいのは、大好きになってもらえる音楽空間で、スピーカーシステムそのものの開発も、音響機材の選定もそれらのセッティングデータの書きあげも、そのために必要な要素を抜かりなく積み上げることに努めているだけだったりします。オーディオ趣味に精通されている方ならよくご存じだと思う「リファレンス」とか「原音再生」とか「高級=高額=良音質」というような事ごとを目指したり推奨するようなことは、考えたこともありません。数字で表せる高性能なものをつくりたいわけではまったくなく、ただただ惚れてもらえるものの正体を追い求めているわけです。

惚れてしまう、すなわち琴線を響かせる要素のひとつに、在りし日の情景を想起させるような感動体験があると思います。

今回、この方が愛車のNAロードスターにご夫婦で収まり、スピーカーシステムの仕上がりを確認していただいたときの様子は、まさにご自身が刻み遺した轍の姿を確認できたことへの感動だったのだと理解しています。かつてDJとしてパフォーマンスを披露していた頃に好んで選曲した楽曲では、客にしっかりと伝えたいキメのフレーズのきらめきを確認し、坂本龍一のピアノが奏でる旋律に彼にしかわからない記憶が甦り、そして奥さまの愛聴曲への興味がふくらみ……そういう様子が収められています。

そのような様子を目の当たりにして、ご当人以上にわたしが感激してうれしくなってしまったのは、オーナー氏は数年前に片耳の聴覚をほぼ完全に失い、大好きだった音楽をむしろ遠ざけるような日々を過ごしていたことを伺っていたからでした。

彼の片耳は音を感知するセンサーとしての機能を失ってしまいましたが、彼の脳に刻まれた音楽の記憶は、それ以外のすべてのセンサーを通じて彼に入力された情報によって大好きなロードスターの車内にくっきりと蘇っているのだと、そのように映りました。思わず両手を拡げて左右の空間の中に浮かぶ音楽をイメージするような姿に、事情を伺っていたわたしには信じられないような光景を見ているような気持ちになりました。


鼻先をキンモクセイの香が撫でるとふと思い出すような何か……のような体験、誰しもにあると思います。それと同じように、記憶の彼方に置いてきたような情景が蘇るような音楽空間を創って、それを必要としている人に届けてみたい。そして欲を言えば、愛車の中で過ごした今日の記憶を何年も先にふと思い出したときに、その情景の一つの色としてわたしが創ったスピーカーシステムから流れる音楽が蘇るようなことがあれば最高じゃないかと、そう思うわけです。







現在、ウェブサイトを全面改修しているため、スピーカーシステムへのリンクが切れています。スピーカーシステムの製作、試聴については、I.Y.A.Garage 岩間くんへご連絡ください。追って、ヤマグチが対応させていただきます。
090-7630-1461





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