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大好きなクルマと大好きな音楽と。



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'08 DAIHATSU TANTO CUSTOM
Chiba, Japan
text, photo / Munehisa Yamaguchi
   
日本車のある風景

とある日本の自動車メーカーのデザイナーたちが怒って帰ってしまったんだ、という話を著名な写真家から聞いたことがある。自信作の大型高級セダン、どんな景色の中で撮影するのがいちばんいい絵になるか、思ったままのアイデアを聞かせてくださいと訪ねてきた彼らに、田舎の農家で撮ろうと答えたら、カンカンに怒って帰ってしまったんだそうだ。きっと高級ホテルの玄関とか、高層ビルを見あげるような都会のどこかで撮ってほしかったんだろうなという、今は昔の笑い話として教えてくれた。

実に興味深い話だと思った。クルマででも電車ででも、少し旅をしてみるとわかることがある。日本のほとんどの場所は、都会ではない。低い建物と田畑が広がり、山や海の匂いを感じる、いわゆる田舎だ。多くの日本人がそこに住んで、生活を営んでいる。多くのクルマも、そこで買われて使われている。だから、日本の田舎の風景に映えることは、日本車にとって欠かすことのできないキモのひとつなのだ。著名な写真家をして、日本の農家で撮りたいと思わせたその高級セダンは、日本車としてかなりいいセンいってたということかもしれない。少なくとも怒り出すような話ではなく、それともブルゴーニュのレンガ造りのワイナリーで撮りましょうなどという話になったら、そうでしょうそうでしょうと大喜びだったのかなぁなどと勝手に想像すると、なんだか寒い。田舎がイヤなのか、和風がイヤなのか。

日本人の西洋かぶれというかコンプレックスは、私も例にもれず人のことをとやかく言える立場ではないが、こと工業製品において根深い。ときおりテレビに出てくる武士道を語るちょんまげの西洋人を笑うくせに、社会をあげて平気で同じことをやる。都会的な雰囲気と憧れという価値観を結びつけて、それを商品の魅力として打ちだす方法を否定はしない。けれども、それを西洋的な意匠と混同してしまうのは違うと思う。

軽自動車は、日本の風景をよく知っていると思う。世界中の誰からも、青いコンタクトレンズを目に入れてニッカリ笑う東洋人のようには見えていないはずだ。もし私が西洋人だったら、こういうクルマを石畳の多い自分の街で走らせるとどういうふうに映るだろう、なんてことに興味が沸くかもしれない。真似できない、すなわち血統抜きでは生み出せないデザインのアイデンティティ、日本車では軽自動車にその粋が集約されているのかもしれない。

2008 copyright / Munehisa Yamaguchi