“ねぇ、おもしろい子がいるから会っといでよ”と崎山さん教えてもらった“子”が、渡辺さんである。
訊くと、広島でロードスター専門のメンテナンスショップをやっているという。遠方につき、わざわざ会いに行くことはしなかった。何が「おもしろい」のか言うことも訊ねることもしなかったし、機会があれば程度に考えた。3年ほど経った頃、たまたま広島へクルマで出掛ける仕事があり、ふと思い出して帰りに寄った。果たして喜寿を迎える機微に通じたメカニックが、“子”を見抜く目に狂いはなかった。彼の仕事場で話すわずかな時間のうちに、渡辺さんのおもしろさに惹かれ、もっと知りたいと興味を持ちはじめる自分がいた。
破天荒なタイプではない、むしろ地味だ。大きなことを口走るタイプではない、むしろ用心深く臆病だ。けれども地味で臆病ゆえとも思える周到な計算高さは、実は相当な楽観に下支えされている。時に皮肉交じりに聞こえる否定的な言葉にさえ裏を返せば、問題が片付けばそこは楽園という夢想が垣間見える。
「サラリーマン時代の仕事に不満があったわけじゃないんです。ただ、三十代にして一生の流れが全部イメージできてしまうことへの辛さというか、不安は漠然と感じていました。一生分の約束された生活を与えてもらうということは、自分も会社に対して生涯の過ごし方を約束するという取り引きがあって成り立つことですから」
そんなことを考える歳の頃に、ちょうどインターネットが普及し始めた。大好きなロードスターのメーリングリストに登録し、オフ会にも出掛けた。普段、画面の中だけで言葉を交わす仲間が、遠くからも駆けつ集まる様子に驚き、あるイメージがふと浮かんだ。
「ロードスター乗りは必要とあらば距離を問わない。そしてインターネットが互いの距離を一気に縮めに掛かっている。彼らの楽しみを支える仕事には、勝算があるんじゃないかって感じたんです」
自宅の近所にあったクラシックミニのショップの様子を見る度に、ロードスターは将来きっとそういうクルマになるに違いないと感じていたことも渡辺さんの背中を押した。2002年、33歳の脱サラだった。
「今だから笑えるんですけど、始めてから10年近くは自転車操業もいいところですよ。今月の売り上げで先月分の支払いを済ませて、ゼロ。借金したくなかったから自宅の軒先に手持ちの30万円で建てた小屋で我慢して、一日も休まずロードスターの整備をして、それでもゼロ。好きなことやってるんだからこんなもんだろうって思うようにしてましたけど、予想していたイメージとはほど遠かったですね。毎日好きなことやってるだけで、笑いが止まらないほど儲かったらどうしようって心配してましたから」
それでも手を上げることなく、面倒を見る車種を変えたり拡げたりすることなく、ロードスターオーナーの世話だけを焼き続けた。
「大胆な一手を打つような性格ではないし、そんな余裕もなかったと言えばそれまでですけど、そもそもなぜRSガレージ ワタナベを始めようと考えたのかを振り返ると、他のクルマに手を出そうなんて発想はまったく起きないないわけです。
ロードスターが好きで始めたことなんです。同じようにロードスターが好きな人たちと一緒に、もっとロードスターに夢中になれる環境を自分の手で作ってみたくて始めたことなんです。うっかり儲かったらどうしようなんてイメージしたのは……、そうでも思わなきゃ現状から先へ踏み出せんじゃないですか。途中で諦めたら、決心した自分を裏切ることになるじゃないですか」
渡辺さんがずっと続けていることがある。ブログやSNSを通じて、自らの有り様を発信し続けて20年ほど経つ。ロードスターのこと、自身のこと、いろいろと。
「書き始めて10年目頃からだと思いますが、大きな金額が掛かる整備の依頼が急に増えてきたんです。ロードスターが旧車になってきたからということもあるかもしれませんが、ずっとインターネットで見続けてましたと言って初めて訪ねてくださる方も少なくないんです」
ロードスターへの特別な想いを持った手で、一を進めるのに十の手順を踏むように丁寧に進められる渡辺さんの整備を知るにつけ、いつか自分にもその必要ができた時にはきっと、と思っていた人たちがやってくる。インターネットがつなぎ、ロードスターたちが遙か彼方から走って来るという想定は、じんわりやって来た。
笑いながら、地味で用心深く臆病だと認めた渡辺さんは、もうひとつ、自分しか信じられないから自分で確かめて決める、という発想の先に進む道を探ろうとする人だと、わたしは感じる。それは、今や年間のべ40万人が日々のブログを読みに訪れ、相当先まで整備予約の列ができるに至る今回紹介した物語だけでなく、電話の向こうから聞こえる少し考え込んだようにつぶやくこんなひと言からも知ることができるのだ。
「ポルシェの技をロードスターに盛り込めたら、一歩先へ進めるし、みんなも喜ぶと思う……そのために買ったわけだし……。まだ確かめてる最中なんじゃけど」
RSガレージ ワタナベ
メカニック 渡辺丈志
写真:上出 優之利
訊くと、広島でロードスター専門のメンテナンスショップをやっているという。遠方につき、わざわざ会いに行くことはしなかった。何が「おもしろい」のか言うことも訊ねることもしなかったし、機会があれば程度に考えた。3年ほど経った頃、たまたま広島へクルマで出掛ける仕事があり、ふと思い出して帰りに寄った。果たして喜寿を迎える機微に通じたメカニックが、“子”を見抜く目に狂いはなかった。彼の仕事場で話すわずかな時間のうちに、渡辺さんのおもしろさに惹かれ、もっと知りたいと興味を持ちはじめる自分がいた。
破天荒なタイプではない、むしろ地味だ。大きなことを口走るタイプではない、むしろ用心深く臆病だ。けれども地味で臆病ゆえとも思える周到な計算高さは、実は相当な楽観に下支えされている。時に皮肉交じりに聞こえる否定的な言葉にさえ裏を返せば、問題が片付けばそこは楽園という夢想が垣間見える。
「サラリーマン時代の仕事に不満があったわけじゃないんです。ただ、三十代にして一生の流れが全部イメージできてしまうことへの辛さというか、不安は漠然と感じていました。一生分の約束された生活を与えてもらうということは、自分も会社に対して生涯の過ごし方を約束するという取り引きがあって成り立つことですから」
そんなことを考える歳の頃に、ちょうどインターネットが普及し始めた。大好きなロードスターのメーリングリストに登録し、オフ会にも出掛けた。普段、画面の中だけで言葉を交わす仲間が、遠くからも駆けつ集まる様子に驚き、あるイメージがふと浮かんだ。
「ロードスター乗りは必要とあらば距離を問わない。そしてインターネットが互いの距離を一気に縮めに掛かっている。彼らの楽しみを支える仕事には、勝算があるんじゃないかって感じたんです」
自宅の近所にあったクラシックミニのショップの様子を見る度に、ロードスターは将来きっとそういうクルマになるに違いないと感じていたことも渡辺さんの背中を押した。2002年、33歳の脱サラだった。
「今だから笑えるんですけど、始めてから10年近くは自転車操業もいいところですよ。今月の売り上げで先月分の支払いを済ませて、ゼロ。借金したくなかったから自宅の軒先に手持ちの30万円で建てた小屋で我慢して、一日も休まずロードスターの整備をして、それでもゼロ。好きなことやってるんだからこんなもんだろうって思うようにしてましたけど、予想していたイメージとはほど遠かったですね。毎日好きなことやってるだけで、笑いが止まらないほど儲かったらどうしようって心配してましたから」
それでも手を上げることなく、面倒を見る車種を変えたり拡げたりすることなく、ロードスターオーナーの世話だけを焼き続けた。
「大胆な一手を打つような性格ではないし、そんな余裕もなかったと言えばそれまでですけど、そもそもなぜRSガレージ ワタナベを始めようと考えたのかを振り返ると、他のクルマに手を出そうなんて発想はまったく起きないないわけです。
ロードスターが好きで始めたことなんです。同じようにロードスターが好きな人たちと一緒に、もっとロードスターに夢中になれる環境を自分の手で作ってみたくて始めたことなんです。うっかり儲かったらどうしようなんてイメージしたのは……、そうでも思わなきゃ現状から先へ踏み出せんじゃないですか。途中で諦めたら、決心した自分を裏切ることになるじゃないですか」
渡辺さんがずっと続けていることがある。ブログやSNSを通じて、自らの有り様を発信し続けて20年ほど経つ。ロードスターのこと、自身のこと、いろいろと。
「書き始めて10年目頃からだと思いますが、大きな金額が掛かる整備の依頼が急に増えてきたんです。ロードスターが旧車になってきたからということもあるかもしれませんが、ずっとインターネットで見続けてましたと言って初めて訪ねてくださる方も少なくないんです」
ロードスターへの特別な想いを持った手で、一を進めるのに十の手順を踏むように丁寧に進められる渡辺さんの整備を知るにつけ、いつか自分にもその必要ができた時にはきっと、と思っていた人たちがやってくる。インターネットがつなぎ、ロードスターたちが遙か彼方から走って来るという想定は、じんわりやって来た。
笑いながら、地味で用心深く臆病だと認めた渡辺さんは、もうひとつ、自分しか信じられないから自分で確かめて決める、という発想の先に進む道を探ろうとする人だと、わたしは感じる。それは、今や年間のべ40万人が日々のブログを読みに訪れ、相当先まで整備予約の列ができるに至る今回紹介した物語だけでなく、電話の向こうから聞こえる少し考え込んだようにつぶやくこんなひと言からも知ることができるのだ。
「ポルシェの技をロードスターに盛り込めたら、一歩先へ進めるし、みんなも喜ぶと思う……そのために買ったわけだし……。まだ確かめてる最中なんじゃけど」
RSガレージ ワタナベ
メカニック 渡辺丈志
写真:上出 優之利