クルマの達人 原エイト企画/原 顯さん

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クルマの達人

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クルマの達人

 
 

革はずっと生きてるから

手当てが必要なんです

 作業着は白衣。道具を積んだワンボックスで指定された作業場へやってきて、手当てが必要なクルマの開いたドアの脇に毛布を敷いてひざまずく。柔らかくふくよかな手のひらで慈しむように革を撫で、様子を確かめ、傍らに道具を広げ治療の準備を始める。ひととおり支度が整ったら、もう一度革の感触を確かめるように撫で、特製のクリーナーで全体を拭い始めた。

 こんなにやさしくシートを撫でる人を、見たことがない。それはクルマの何かにではなく、生き物に触れているような感触。大切なものを愛撫しているような、そんな雰囲気なのである。

「こうやって革になってまで、僕らの身近で生きている動物のことをイメージしちゃうんですよね。革はね、大切に使ってやれば、50年や60年はずっと生きているんです。もちろん道具として使っているわけだから、強い折りぐせで表面がひび割れたり、擦れて色がかすれたりするんです。

 僕は、自分のことを革のお医者さんだと思っていますから、ちょっと疲れてきたり具合が悪くなったら、それを治させてもらうわけです。なんかね、そういう使命感みたいなものを感じるんですよ」

 原さんは、東京・下町の革屋の2代目目。10m以上もあるような大きな機械で、革をなめしている父親の背中を見て育った。

「学校を出て親父の後を継ぎましたけど、工場は15、6年前に閉めました。革をなめすのには、クロムという化学薬品を使うんですけど、公害問題とか色々あって、 個人規模の工場で対応するのが難しくなってきたんです。それからしばらく、花の仕事をしてたんですよ。一種のドライフラワーみたいなものを作るんです。1年くらい勤めて仕事を覚えてから独立して、2年くらい自分でいろいろやってました。バレッタっていう髪留めを革で作って、その中に綺麗な花をワンポイントであしらえてみたりね。ロマンっていうか夢のある作業が好きなんです」


外国の職人に負けない

仕事をしていきたいね


 原さんがクルマの革に携わるようになったのは、花の仕事を始めて2年目のとき。郊外にあるレストア工場の社長に勧められて、そこのクルマを手がけたのが最初。

「その工場に行って、ロールス・ロイスのドアを開けたときは驚きましたね。こりゃ凄い造りだな、って。英国の熟練した職人っていうのは、こういう仕事をするんだな、って感激したんです。

 元々、革は本職ですから、傷んでいる部分の状態を見れば、どういう方法で直せばいいのかは分かります。簡単に直す方法も、もっときちんと直す方法も。ただ、ロールスロイスのように、本物の仕事が納められているクルマがあって、そのクルマを大切にしている人がいて、その中で生き続けている革がいることを知っちゃいましたからね。それまで知ってた方法以上に、もっといい仕事が出来るような何かを身につける必要を感じましたね」

 原さんが現場に乗り付けるワンボックスには、小さな容器に小分けされた膨大な数の塗料や、昭和初期製の小さなアイロンごて。原さんが自ら試行錯誤の末、完成させたという仕上げ用のコート剤などの薬品類など、その場で原さんだけの仕事の環境が整えられるだけの、ありとあらゆる道具が積んである。

「いろんなクルマの革を相手にしなきゃいけないからね。道具ばっかり増えてくるのは、仕方ないね。革屋の目から見ると、いい革と、がっかりするような革があるけど、お客さんにとっては大切なクルマなんだろうからね。出来るだけいい仕事を、って思うわけですよ」

 いい革とは、どんな革?

「最近のほとんどのクルマに使われている革は、首だろうが脚だろうが何でも使って革の歩留まりを良くするために強烈な押し型でシボっていう革模様をプレスして、耐摩耗性を上げるためにウレタン塗料でこってり塗装しちゃうからね。表面はビニールレザーと同じなんです。それに比べると、例えばロールス・ロイスなんかに使ってあるコノリーの革はね、指先で押すと細かいシワが周囲に出るんです。

 ほら、ね。これは革の表面と、床っていって肉の部分の間にある吟の層っていう0.3mmくらい薄い膜を、綺麗に剥離させてあるからなの。そうやってなめした柔らかくて上質な革の表面をラッカーで薄く塗って仕上げてあるから、押しつけた指先に沿うように、細かいシワがキュって出来るわけ。いい革ですよ。しなやかで、座ると人肌にスッと暖まる。その分、傷みも早いですけど、僕みたいのが時々手を入れてやると、何十年も生き続けるってわけです」

 仕事に疲れてくると、ピカソの絵を眺めると気分転換になるという原さん。何歳の時にこういう絵を描いたんだ、などというストーリーと共にページをめくるのが好きなのだそうだが、知らないうちに、色作りのアイデアを研究する目に変わっている自分に気づくらしい。

 多忙な日々ゆえ、仕事の相談を持ちかけられてもすぐには応じられないのが申し訳ない、と口にはしていたが、本当に大切な1台の革の補修に困ったら、まずはFAXで内容を相談するといい。あきらめかけていた革のインテリアと、もう10年付き合ってみたいと思えるようになるかも、知れない。


copyright / Munehisa Yamaguchi

Car Sensor 2002 Vol.17掲載

「革になった動物のためにも  

 長持ちさせてあげたいんだ」

レザー・リペアの達人

原エイト企画/原 顯さん


東京・下町の革屋の2代目として育った原さん。環境問題などの理由で工場を閉め、3年ほどドライフラワーなどを作る花の仕事を経験した後、レストア工場の社長に勧められてクルマの革内装の補修をはじめる。革をなめしていた職人として、またすでに10年以上になるクルマの革内装職人としての経験は豊富で、プロからの引き合いが後を絶たない。皮に触れるやさしい手のひらと、革を見抜く鋭い視線を持つ、58歳である。

年齢等は、"CarSensor"誌に掲載時のものです。 2002 Vol.17掲載

Ph. Rei Hashimoto