クルマの達人 阿部シート/阿部良男さん

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クルマの達人

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クルマの達人

 
 

独立した頃この辺は

まだ首都高もない時代

 確か小学生の頃だったか、祖母が好んで観ていた「おもろい夫婦」というテレビ番組を思い出した。鳳啓介、京唄子夫婦が公募で出演した夫婦たちの人生の機微を、笑いあり涙ありで彩るトークショー。関西人なら分かっていただけると思うが、ここでいう“おもろい”というのは、笑えるとか楽しいという意味を超えた、もっと見守り包み込むような感情表現をも含む関西特有の言い回しである。阿部さんの作業場、引き戸を開けて中にはいると、そこは“おもろい”を感じる空気に満ちていた。

「友達が、ドライバー1本でできる商売があるんだけどなぁって言ったんだよね。今思えば、ドライバー1本でなんて絶対にできないんだけど、ともかくやる気になって、住み込みで働き始めたのが17歳くらいかな。10年くらい小僧として修業してから独立したんだね。27歳だよね」

 阿部さんは少し考えてから話し始めるタイプ。傍らに腰掛けた奥さんは、その言葉と言葉の空間を埋めるように、ずっと具体的な単語を並べて解説する。

『25のときに、もうやってたのよ』

「あれ、そうか? そうだっけ? 首都高ができてないころだったよな。小松川橋も船堀橋もまだ木の橋で、午前と午後で逆向きの一方通行だったけ。ダメでもともとだったのね。免許証持ってたし、うまくいかなかったら他の仕事をやればいいやと思ってた」

『でもなんていうの、こしらえものが好きなのよねぇ、この人。生きがいなのかしらねって思う』

 お世辞を言うのが下手で、お金に執着がなくて、でも仕事に厳しく技術に厳しく、お客さんを必ず満足させるために1年355日くらい、朝から晩まで働いてる人。情景を思い出すように話す阿部さんの言葉を、奥さんがそう説いてくれた。直しかけのシートが床に並ぶこの内装修理の作業場は、なにか懐かしい匂いのする“おもろい”空間なのである。


絶対に手を抜かないこと

それが俺流のやり方


 フェラーリを専門に診るメカニックに、とびきり腕のいい内装職人がいるからと、阿部さんを紹介してもらった。

「腕がいいったって、何年たってもやることいっしょだからね。手でやるしかないんだから。仕事はね、小僧で働いてた頃に自分流で覚えちゃった。その頃はお抱え運転手が付いてるクルマのシートカバーとか絨毯とか、そういう仕事が多かったわけ。仕上がりにうるさいお客さんだよね。教えられてできるようになるような仕事じゃなくて、自分で執着してできるようにならなきゃいけない。手先を使う仕事って、そういうもんじゃないかな。

 ほら、通りにトラック走ってるの見えるでしょ。どの幌にも負けないよ。手のかけ方も違うし、材料も悪いものは使わない。いい材料たってね、トラックの幌用の生地なんか、メートル当たり100円とか200円とかしか変わんないんだよ。それでも安いの使うところばっかりなんだよね。ああやって走ってるの見たって、形や色でわかる。オレの目はごまかせないよ」

 お客さんは紹介がほとんど。広告も打たなきゃ名刺もくばらないのに、忙しくて仕方がない。小さいものはバイクのシートから、クルマのシートや内装の修理、衣替えはもちろん、トラックの幌のような大きなものまで。

「名刺あるんだけどさ、渡したことないから減んないよ。馴染みのお客さんに、紹介したげますから名刺って言われることもあるんだけど、紹介しないでくれって言っちゃうこともあるんだよ。欲がないねって笑ってるけど、実際こなせないんだって。ひとつひとつ全部違う作業だから、大量生産ってのが利かないわけ。いいですよって受けといて、待たせっぱなしってわけにはいかないじゃない。もちろん高飛車な商売やってるつもりはないから、結局引き受けますけどね。でも納期とかその辺は、相談させてもらうことになっちゃうんです。

 クルマのシートはね、最近のやつは表面の生地が擦り切れる程度で、中身はほとんど傷まないんだよ。枠の上にウレタンのあんこが接着してあって、それに表生地被せてあるだけだから。昔のシートは、ばねが使ってあって、それがヘタってきちゃうことがよくあったんだけどね。

 うん、なんでも直すよ。日産だってベンツだって。シートの作りによって勘所が違うんだけど、分解してそこを補強して直すわけ。革張りにしたいとか、生地の種類や色味を変えたいとかいう注文も多いよね。どういう風に仕上げたいのかよく聞いて、そのとおりにしてあげますよ。それが仕事だから」

 話を伺っている間、黙々と作業を続けていたのは、阿部さんの息子。学校出たら自然とこの仕事をするようになったのは、シートカバーを縫ってる私の背中におぶわれて、お父さんが働いてる姿をずっと見ながら大きくなったからかしらねぇ、と懐かしく話す奥さんに小さく一言。

「おまえもよく働いたよな」

 今でも朝6時には作業場に出て、朝飯前の一仕事が日課という阿部さん。62歳の今でもそこまで仕事に打ち込める理由は、という問いかけに、喜んでくれるお客の顔が好きだね、と答えてくれたが、もっともっとずっと大切で大好きな存在があること。私ばかりでなく、誰の目にも明らかな阿部さんなのである。


copyright / Munehisa Yamaguchi

Car Sensor 2004 Vol.50掲載

「手先でする仕事が好きだから

 シート修理は俺に合ってるんだね」

誰よりも手を掛け、誰にも負けない内装修理の達人

阿部シート/阿部良男さん


ケーキ屋で働き始めたのが最初の仕事だったという阿部さん。通っていた柔道場で知り合った友人に勧められて、内装修理の工場に住み込みで働くようになる。その工場で10年間勤めた後、独立。阿部シートを興す。夫婦で築き上げた腕のいい職人としての信用は、現在愛息を加えた3人で守り抜かれている。根っからの職人気質な62歳。

年齢等は、"CarSensor"誌に掲載時のものです。 2004 Vol.50掲載

Ph. Rei Hashimoto