クルマの達人 ガレージ赤坂/大塚外二、伊藤菊男、川戸憲昭、佐藤太吉さん
クルマの達人 ガレージ赤坂/大塚外二、伊藤菊男、川戸憲昭、佐藤太吉さん
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クルマの達人
クルマの達人
ひとつ屋根の下に
もう35年以上ですね
ふと鼻先をかすめる風の匂いに、不思議な懐かしさを覚えることがある。追われるような慌ただしさの刹那に、胸をかすめる切ない感触。夕暮れ時、母親が食事の卓につくようにと姿を見せるまで遊んだ草むらの青い匂い。坂道をふかして登っていくクルマの吐き出す焼けた燃料の匂い。初めて座った憧れの運転席で胸一杯吸い込んでみたそのクルマの匂い。歳を重ねるごとに、意識の向き先が変わり、その時々に雰囲気を満たしていたのと似た空気が、何十年も前のかすれた記憶の中から、情景や心の揺らぎまでも鮮やかに呼び起こす。ちっぽけな個人の中にさえ、この世にふたつとない別々の歴史があることの驚き。そんなことに気づくと、なぜかとてもやさしい気持ちになれる。
閑静な住宅街の一角にあるガレージは、間口よりも突き当たりが右へ折れた奥行きのほうがずっと長い。こんにちは、と歩を進めていくとボンネットの開いた数台のクルマに、 それぞれかじりつくようにして作業中の4人のメカニック。今どきの工場にしては薄暗く、奥に進むほどメカニックの手元を照らす作業灯の明かりが目立つ。エンジンに跳ね返った明かりに浮かび上がるどの顔も、この道何十年といったオイル焼けした風情。
「3人は、もう35年くらい一緒にやってますね。いちばん若い佐藤くんだって20年は一緒です。 昔、小林工業所っていう修理工場が赤坂にあったんです。小林太一郎って人が戦前に麹町に興した工場なんですが、そこに見習いとして順番に入ってきた3人なんですよ。いちばん年長の伊藤さんが昭和27年からで、次に私、そして川戸さんの順番で東京に出てきて、親方の下でクルマいじりを教わったというわけです。昭和48年に先代の息子さんが独立するときに赤坂自動車って名前に変わって、佐藤くんはそこに加わってきたんですよ。ところが、赤坂自動車がエアコン関係を中心の仕事に切り替えることになったんで、ウチらはメカ中心の工場作ろうってことになって。平成8年にガレージ赤坂の看板を揚げたんです」
いただいた名刺を見ると、大塚さんが代表取締役ということになっているが、少なくとも作業場にいる限り、ツナギを着てクルマに首を突っ込んだ4人の誰が社長で誰が年長者なのかということなんて、どうでもいいことのように見える。
そんなことよりも、気が短かったという先代の親方が、修業中の彼らに向かって投げつけた何本かが混じっているに違いない戦前の工具が壁に掛かる作業場で、鉄と油の匂いがする同じ空気を何十年も共に呼吸してきたことの凄さ。快活な伊藤さん、慎重な大塚さん、凝り性の川戸さん、そして負けん気の強い佐藤さん。私の目にはこのように見えた4人が、 それぞれの歴史の中に同じ匂いを共有し、クルマとオーナーに慕われ共にかかわり続けられていることの素晴らしさを感じずにはいられなかった。
まず考えることが大切
修理も生き方もね
「誰がどの部分を担当する、とかいうルールはないんです。戦前のクルマは経験豊富な伊藤さんとか、比較的新しいクルマは呑み込みの早い佐藤くんとか、そういうことはありますけど、基本的には手が空いた順に整備を待っているクルマを診ていくという感じですね」
大塚さんがそう言うと、川戸さんが言葉を続ける。
「それまでの整備で、キチンとやってこなかったクルマが多いんですよ。交換すべきところを交換してないとか、中途半端な整備で済ませてるとかね」
伊藤さんがさらに続ける。
「インチねじなのかセンチねじなのか、ワッシャーは必要なのか、どのくらいのトルクで締めつければいいのか。整備マニュアルがないような古いクルマや珍しいクルマも、ときどき入ってくるのね。そんな時は、その部分の仕組みや動きを理解して、もともとどうなっていたのかということを我々が推理していかなきゃならないでしょ。メカニックの腕の見せ所って、そういうところじゃないのかなぁ。実際の作業にしたってトルクレンチを使わなくても、ピッタリ適正値だなっていう感覚も染みついてくるしね。機械を知ってクルマを整備するっていうのは、つまり設計した人の気持ちが分かってくることなんだと思うよね」
佐藤さんは言葉を挟まずに、じっと聞いている。
4人各人が、すべて親方級の経験と技術を持ったメカニック。先輩後輩はあっても、露骨な上下関係はない。個々のメカニックとしての経験や特性を理解して尊重して、頼りにしてる。
「クルマの修理も生き方も同じ。困難にぶつかったら、まず自分の頭で考える。分からなきゃ人のやってることを観察する。それでもダメなら知ってそうな人に素直に聞いてみる。そうやってるうちに興味が湧いてきたら、しめたもん。修理も人生もね」
クルマと人が紡いできたそれぞれの歴史を真摯に理解する姿勢。彼らの工場が、得も言われぬやさしさに満ちているのは、そのせいなのではないか。その輪の中に加わりたいと思い通うオーナーが絶えないもの、また道理だろうと思えたのである。
copyright / Munehisa Yamaguchi
Car Sensor 2003 Vol.30掲載
「どういう歴史が刻まれ、また刻んでいくのか
それを考えることが本当の修理ですね」
クルマと人の歴史を紡ぐ達人
ガレージ赤坂/大塚外二、伊藤菊男、川戸憲昭、佐藤太吉さん
戦前からの整備工場、小林工業所で寝食を共にした大塚さん、伊藤さん、川戸さんの3人と、現工場の前身である赤坂自動車時代に加わった佐藤さんの4人で興したガレージ赤坂。古い輸入車を中心に、クルマとオーナーのかかわりを重視した整備を続けている。各人の技術の確かさはもちろん、懐かしさを覚えるような雰囲気も素敵。
※年齢等は、"CarSensor"誌に掲載時のものです。 2003 Vol.30掲載
Ph. Rei Hashimoto