クルマの達人 オートジャンクション/安井一郎さん

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クルマの達人

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クルマの達人

 
 

徒党を組んで走るより

機械に興味が湧いたんだ

 10年ぶりに安井さんの基地を訪ねてみた。地元の再開発で通りを挟んだはす向かいに引っ越して、すっかりきれいな建物に変わっていたが、整備工場というよりも絶対に基地という表現のほうがぴったりくる。自衛隊や米軍から放出されたジープだらけだからというだけでなく、オリーブドラブと呼ばれる軍用の艶のない濃い緑色に塗られた無線機やヘルメットがそこここにあるからだけでもなく、きっと仲間が帰営して一服つけたくなるんだろうなという雰囲気が、基地以外の何ものでもないのだ。

「おぉ、久しぶり。最近なにしてるの? 元気?」

 私など、仲間というのもおこがましいのだが、安井さんはそう言ってお茶を入れてくれた。

「最近はね、ディーゼルエンジンをガソリンエンジンに載せ替える仕事が多いよ。乗れなくなっちゃったからね、ディーゼル」

 安井さんは、四輪駆動車の面倒を見てくれる隊長。隊長と呼ぶのはさすがにちょっとやりすぎかと思うが、兄貴肌な性分であることは間違いない。

「エンジン付いた乗り物に本気でハマっていったのは、暴走族やって走り回ってた頃よ。バイクっていう共通の言葉があって、何するわけでもなく集まって話したり走ったりするのが楽しくて。どういう気持ちで暴走族やるかなんて、人それぞれだけど、オレはそのうちバイクそのものに興味が出てきちゃったのね。メカニズムっていうかさ、どうすればもっと速くなるんだろうとか、いい音するんだろうとか。 そうやって自分なりに手を加えたバイクを操って、乗りこなして、ある時は思うようにねじ伏せてるなっていう感覚がたまらなかった」

 何人ものメンバーを統率して、人生を見直すような出来事もあって、でもバイクそしてクルマ のおもしろさからは離れられないと悟った青春時代だったのだ。


自然は容赦なく厳しいから

ジープの整備は大切なんだ


 安井さんが初めて手に入れたクルマはマツダ・サバンナRX-3。極太タイヤを履かせて、直管マフラーをバリバリ響かせながら夜な夜な走っていた。次に手に入れたのは、当時働いていた土建屋さんの社長から譲り受けた日産・ローレル。こちらも他にはないというほど派手に手を入れていたそうだ。

「ジープとつながらないでしょ。実は一度、オープンにしてフロントスクリーンを倒したジープの助手席に乗せてもらったことがあってね。そのときに、風を切って走る感じがまるでバイクみたいだ、って。こりゃいいって感激したことがあるんだけど、こういうのはもっと大人になってからでいいかなとも思ったの。アスファルトの上をエンジンぶん回して走る方が楽しかったんだね。若かったんだよ、きっと。

 でも、キャンプとか好きだったし、何もない自然の中に放り出されて、さぁどうするみたいな環境でいろいろ考えるのは嫌いじゃなかった。

 実は20代前半のときに、海外青年協力隊っていうのに応募して、1年半くらいオーストラリアに行ってたことがあるのね。ランボルギーニ製の大きなトラクターで作物を刈り取るんだけど、1日中走っても反対側の柵に行き着かないような広さの農場なわけ。そのままじゃ帰ってこられなくなるから、トラクターの後ろにレンジローバー引っ張ってさ。夕方になるとトラクター置いて、レンジを70~80km/hでトバして帰ってくるんだけど、それでも1時間半はかかるもんね。自然ってすげぇなって思ったよ。

 日本に帰ってきてから、自宅の敷地で解体業やりながらジープのことを覚えたり、直したりしながら過ごしたんだけど、暴走族やってたとき以上にハマっちゃったんだね。30歳を少し過ぎたくらいのときに、この店を立ち上げたってわけ」

 アスファルトの上を疾走するよりも、ジープで道なき道を克服するほうが楽しい?

「どっちも自分の技術とか知識が問われるという意味では同じだと思う。でもアスファルトの道って所詮人が造った道なんだよね。人間に合わせて造られてるし、何ていうのかなぁ格好つけてやれって思うじゃない。男だし、虚栄心働いたりするでしょ。それって、まだまだ余裕がある証拠なんだよね。自然ってさ、手加減なしだからね。そんな悠長なこと言ってる場合じゃないくらい、必死にならないと簡単にやられちゃう雰囲気あるわけ。

 格好がいいとか悪いとか言ってられないくらい追い込まれるような場面を、無我夢中で乗り越えていくうちに、たまらない達成感が沸いてくるんだよ。誰かの胸ぐらつかんで吠えてるような突っ張り方よりも、もっと無心で体当たりできる感じがたまらなく好きなわけ。

 そんな大きな相手だから、やられちゃわないようにジープをきちんと整備して、必要な手を加えて、また胸を借りに行く感じがいいよね。そういう場面でいちばん力になってくれるのは、やっぱり第二次大戦のときに生まれたMBジープや、そこから派生したモデルたち。MBジープのフルレストアもやるけど、コンディションのいいMBジープは高いから、楽しみたいなら三菱製のジープで十分だと思う。要は格好じゃないんだよ」

 安井さんの言うように、自然は万人に分け隔てなく厳しいのだと思う。けれども、分け隔てなく広い間口で迎えてくれるのも、また自然なのかな、と。私のような町暮らしの青びょうたんには想像も付かない未知の世界ではあるが、話を聞いてるだけで心地いい、そんな世界に少しだけ興味を持った。


copyright / Munehisa Yamaguchi

Car Sensor 2006 Vol.25掲載

「自然を相手に挑戦していく気持ちを

 後押ししてくれるのがジープなんだよ」

ジープとジープのある人生を教えてくれる達人

オートジャンクション/安井一郎さん


20歳で自動車の免許を取るまでは、バイクに目一杯ハマっていた安井さん。夜な夜な仲間と走り回るうちに、バイクのメカニズムに興味を持ち始め、やがてその興味はクルマへと向けられるようになる。いわば人生修業のような時期を過ごし、自然を相手にジープ1台、体ひとつで挑戦する楽しさを覚え、31歳の時にオートジャンクションを興す。厳しくも面倒見のいい、50歳。

年齢等は、"CarSensor"誌に掲載時のものです。 200 Vol.25掲載

Ph. Rei Hashimoto