クルマの達人 オールド フレイム/井上 淳さん

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クルマの達人

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クルマの達人

 
 

クルマを大切にする人に

喜んでもらいたい

 ずっとずっと昔、学校帰りの放課後に、地面にランドセル放りだして遊んだ秘密基地を思い出した。不思議な格好の錆びた鉄の部品が転がってたり、ピカピカに光ったねじがいっぱい詰まった小さな段ボール箱を見つけたり。いま思うと、そこは閉鎖された工場の跡地だったんだろうけど、誰か大人が帰って来てこっぴどく怒られるかもしれないと少しビクビクしながら、それでも日が暮れるまで友達と宝の山を探検したものだ。

 道順を説明するのにちょっと困るようなわき道を入ったところで発見した、大人の秘密基地。この先、再び街中を走ることがあるのだろうかと思えるような、古く赤錆びたクルマがぎっしりと詰まった敷地に、部品や工具があちらにひと山、こちらにもひと山。薄暗くなった冬の夕方に、作業灯だけが妙に明るい。もちろん閉鎖された工場ではなく、恐る恐る訪ねてみると、奥の方で作業をしていた井上さんが出てきてくれた。

「何のご用ですか?」

 いらっしゃいませ、お安くしときます、なんて言葉は期待していなかったけど、あまりに素っ気ない言葉に、少し緊張した。

「見ての通り、クルマの修理屋です。本業は旧車のレストアですかね。あのサニーも、もうすぐ完成します。2年ほどかかりましたけど。もちろん普通の整備とか車検もやりますよ。レストアだけじゃ食えないし、大切にされているクルマの面倒なら、なんでも診てあげたいって思いますから。修理屋ですし」

 きれいなメタリックカラーに塗装された昭和40年代製とおぼしきサニー。エンジンは比較的タイプのDOHCに変更されていた。

「外から見て、改造してますよってわからないさり気なさが好きなんです。見るひとが見れば、なんか違うなって気づいてくれるくらいがちょうどいいですね。塗装も自分でするんです。やらないのは、エンジンのオーバーホールくらいかな。僕にとってエンジンって、組み上がってる状態でひとつの部品って感じだから。メーカーで用意してくれてる性能で十分だし、余計なチューニングしないんだったら、エンジンの専門家に頼んで元どおりに組み上げてもらったほうがいいですよ。それ以外は、ほとんど自分でやります。鈑金、塗装、メカニズムの調整、なんでもです。大切にしたいって思ってもらえるクルマを、自分の手で組み上げるのが好きなんです」


旧車に興味があるなら

とにかく乗ってみること


 後日、カメラマンと改めて訪れたときも、作業場の風景はほとんど変わっていなかった。気がついたのは、そのときは開いていた例のサニーのボンネットが、閉まっているくらいか。

「いよいよ、今日納車です」

 まさかボンネットを閉めるのに数日かかったわけではないだろうが、はた目には染み込むようにゆっくり時間が流れている。

「20代の前半は、やりたいと思えることが何もなかったですね。スタンドでバイトしたりしながら、何となく過ごしてました。そうですね、クルマっていうより、何か作るのが好きだっていうところはありました。中学か高校のときに、親父に買ってもらった自分で作るキャンピングカーみたいなタイトルの本を読んで、キャンピングカーの内装とか装備とか、そういうの作ってみたいなぁ、って。プラモデルを買ってきて組み立てるとかじゃなくて、どこにも設計図のないもの、誰かが下準備をしてくれてるようなものじゃないもの、そういう工作が好きでした」

 24歳の頃、クルマの内装屋さんで1年間だけ、親方に技術を教わるような形で勤めていたことがあるという。

「後にも先にも、誰かに技術を教えてもらったっていうのは、それだけです。とにかく自分でやってみる、わからないことは本で調べて、自分で挑戦して、実地で覚えていく。そういうスタイルです。内装屋さんで基本的な技術を覚えたら、バイト先の裏に小さな場所を借りて、自分の工場を始めました。昼間はスタンドでバイト、夜になったら工場で作業です。最初は自分のクルマを実験台に、いろんなことをしてたんですけど、半年くらいたったら知り合いのクルマもポツポツ入ってくるようになってね。赤字にならずに勉強できるっていう意味では、自分のクルマいじってるのと変わらなかったですけどね。最初はそんな感じです」

 現在の場所に移って9年目。口づてに広がったクルマ好きが、やってくる。一般整備はもちろん、望めばフルレストアの相談までできる井上さんのところにやってくる。自分たちだけしか知らない秘密基地の匂いが、たまらないのに違いない。

「自分だけの1台を実現する方法として、古いクルマに大切に乗るというやり方って、すごく分かりやすいと思うんです。外観をきれいにしなきゃとか、そんなのはいちばん最後でいいから、とにかく手に入れて乗ってみる。こんなつらい思いはイヤだと思ったら、新車乗ったほうがいいです。でも、何かワクワクする不思議な興奮を感じるなら、少しずつクルマに手を加えていくのも楽しいんじゃないですか。そういう人とクルマが元気に走ることができるように手伝いをすることが、僕の仕事だと思います」

 それじゃあ、と挨拶をして、しばらく歩いてから振り返ると、雑然とした作業場の景色に溶け込んでいくように戻っていく井上さんの後ろ姿が印象的だった。


copyright / Munehisa Yamaguchi

Car Sensor 2004 Vol.11掲載

「自分だけのクルマに乗る喜び

 経験してほしいと思いますね」

旧車をともに楽しむ達人

オールド フレイム/井上 淳さん


クルマが好きというよりは、設計図も何もない白紙の状態から、自分で考えて何かを作ることが好きだったという井上さん。内装屋で1年間働いたこと以外は、すべて独学でクルマの整備を覚えた。一般整備はもとより、現代の道に対応できるような改造を加えながらの旧車のフルレストアも行う。一人だけで切り盛りする工場の主、38歳。

年齢等は、"CarSensor"誌に掲載時のものです。 2004 Vol.11掲載

Ph. Rei Hashimoto