クルマの達人 猪本義弘さん・追記

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クルマの達人

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クルマの達人

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 世間は狭いものだ。「クルマの達人」を執筆するためのインタビューが終わったあと、島津楢蔵という男にとても世話になったというくだりがあったことについて、それは私の祖父の兄だと思いますと告げたら、目を丸くして驚いた。それが猪本さんと私の出会いだった。以来、自動車メーカーの報道向け発表会や試乗会でお会いするたびに、話しをするようになった。もし私が気づかなくても、猪本さんの方から声を掛けてくださり、いつだったか確かボルボの試乗会のときには、もし1人で来ているのならご一緒しませんかと自分用に用意された試乗車をキャンセルして、私が運転する車の助手席で昔のクルマのこと、自動車業界のこと、島津楢蔵のこと、愛車のメンテナンスの相談までも、この若造に親しく話してくれた。私も猪本さんの話がとても楽しく、祖父が私に話して残してくれたもの作りへの情熱的な想いや、楢蔵兄さんとの二人三脚的な日本のエンジン黎明期の苦労話を時間の許す限り聞いてもらった。そんないろいろな話や、クルマや日本のもの作りについての私の未熟な感想や考えにも、いちいちうなずき、意見もしてくれた。

 猪本さんは、本当に島津楢蔵に感謝しているようだった。弟の孫という、猪本さんが恩人と呼ぶ本人とは決して近くもない続柄の私にでさえそのように接してくださる猪本さんを見れば、そのことは明らかだった。 そして、ひょんなきっかけから私と知り合いになったことをとても喜んでくれていた。 メッセージが入ったこの著作は、島津楢蔵の生前にもらい損ねたと残念がっていた島津兄弟が作った航空機用エンジンの設計図を、私の手元にある遺品から複写して送ってさし上げたときに戴いたものだ。この時も、猪本さんは本当に喜んでくれた。

 期せずして会えば話す、というそんな時間が数年流れたある日、交通事故に遭い体をこわしたらしいという連絡が人づてに入ってきた。心配だったが、大ごとにしたくないらしいという情報者からの助言もあり、私は見舞いにも行かなかった。それからまた少し時間が経ったある日、自動車メーカーの新車発表会で猪本さんの姿を見つけた。すぐに駆け寄って、体調について軽く訊ね、それから少し立ち話をした。体は大丈夫ですよと言っていたが、明らかに弱ってしまった様子に、体の具合についてどころか、以前のように長々と話に付き合わせることさえはばかってしまった。それが猪本さんとの最後になった。猪本義弘さんは、2010年1月20日逝ってしまった。まだもっとここに留まってほしい76年の享年だった。

 山口くん、いつでもいいから私を呼び出してくださいよ。あなたが聞きたい島津楢蔵さんの話を、知ってる限りしてあげます。そう言ってずっとずっと昔に教えてくれた携帯電話の番号に、話を聞きたいから時間を作ってほしいという用事で電話をかけたことは、とうとう1度もなかった。頻繁に海外にも招かれて行くような世界的テクニカルイラストレーターの猪本さんを、人生の大先輩である猪本さんを、私ごときの用事で何時間も専有するのは忍びないと思い始めたら、どうにも電話を掛けられなくなってしまった。とうとう1度も会いたいと甘えなかった私は、本当に馬鹿だった。ひょっとしたら、とっても失礼なことをしてしまったのかもしれない。もっともっと若造らしく素直に甘えればよかった。まさか、終わってしまうなんて。

 僕は華があるクルマが好き。華というのは、つまり作り手の思いがこれでもかというほど凝縮されたメカニズムのこと。島津さんが作られたエンジンは、本当に華がある。100年も前の作品だということを考えると、想像も出来ないほどの強い思いがないとこんなものが作れたはずがない。だから、そういう思いを持った日本人が確かにいたのだということを、あなたはきちんと伝えなきゃいけないよ。

 そう言ってくれたあなたの言葉を忘れずに頑張ります。猪本さん、ありがとう。合掌。

                       山口宗久

 

僕は華のあるクルマが好き

作り手の思いが込められたメカニズムに

華の存在を強く感じるんだよ