クルマの達人 菅野一博さん

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ちゃらんぽらんだけど

修理のときはそれは違う

 最初に工場を訪ねたときは夕方で、もうお酒が入っていた。仲間の職人と食事に出かけるところで、あんたも一緒に食べようと誘ってくれた。そこそこ冗舌(じょうぜつ)に話を聞かせてくれたが、確かクルマの話はほとんどしなかった。お酒が入っていない昼間は本当に無口な親父だから、インタビューするなら今しかないぞと同席の職人たちに茶化されたが、とてもそんな話題に引っ張り込む気にはなれなかった。クルマ談義に花が咲きそうなつなぎ姿たちで囲む近所の居酒屋の卓なのに、なぜかクルマ談義は場違いはなはだしいと感じた。

 後日、約束した昼間に工場を再び訪ねたとき、やっぱりあの時少し話を聞いておけばよかったとちょっぴり後悔した。無口というより、うんうんと言葉を飲み込みながらニコニコ笑っているような菅野さんなのである。

「微妙ですね、エンジン……難しい。オレがいい感じだなって思っても、お客さんがその味を好きだとは限らない。速ければいいって人もいれば、いつまでも乗り続けられる耐久性を求める人もいるでしょ。そこんところ、よく相談してからじゃないと、自分勝手なものが組み上がっちゃう。でね、お客さんの望む雰囲気に仕上がった上で、組み手による個性が必ず出てくる。それがエンジン。だから難しい。でもいじるなら、やっぱりエンジンがいちばん好きだよ」

 小学生の頃から母親の実家が営んでいた自転車屋さんで、自転車やバイクが整備される様子を見ていた菅野さん。ごく自然に機械いじりが好きになり、18歳のときに上京して整備工場にメカニックとして就職した。

「ディーラー系の工場で、ヒルマンとかヴォクソールとかの整備をやることになったんだけど、どうしてもロータスヨーロッパをいじってみたくなって。それで、そういうクルマばかり扱う中古車屋さんの委託を受けている工場で働くことにしたんです。機械としてのおもしろさをいちばん純粋に楽しんでた頃じゃないかな。F1で有名なコベントリークライマックスってエンジン、知ってるでしょ。あぁいうのも、オーバーホールしたしね」

 望み通りのクルマに接することが出来るようになった菅野さん。ところが23歳のときに独立することになった。

「ちゃらんぽらんな性格だけど、整備に関してはそれはない」

 それまでの話しぶりからは意外なほどスラッと出てきた言葉。そのあと、もう一言付け加えた。

「やっぱり自分の好きなことをやろうとしたら、使われてる立場じゃ無理だと思ったから。つまりね、きちんと直るなら少々時間がかかっても仕方がないなんてことを許してくれる工場なんて、そうそうないんです。でも、もう一息手をかけておけばもう一息分いい感じに仕上がるところがクルマにはいくらでもあるからね。そんなの時間の無駄ってガミガミ言われたくなかったら、自分で工場はじめるしかなかったというわけです」

プロとして恥ずかしくない

そういう仕事が大切なんだ

 第三京浜国道の都筑インターで降りるところまでは説明できるが、あとは地図なりナビなりを頼りにして行ってくださいとしか言いようがない。住宅街の中にあってとても説明しにくい。菅野さん曰く、一見(いちげん)さんはほとんど来ないという理由がよくわかる。ここを目指してこないと、たまたま通りがかりに見つけたなんてことは、まずないだろう。

「今は業者さんの仕事が多いよね。中古車屋さんの販売車の修理や整備ね。もちろん、一般のお客さんも来てくれるけど、広告とかしないからさ。ほとんどお客さんの紹介の、そのまた紹介っていう感じ。メカニックだから、具合がよくないところをきちんと直すのが当たり前でしょ。それは、どんなお客さんのクルマでも同じですよ。ただ、売るための修理はまずどれだけ安く直せますかっていうリクエストになりがちでしょ。せっかくここまで分解したんだから、こっちも手を入れておいたほうが長く乗るにはいいんだけどっていうことは、求められないんです。そういう意味では、やっぱりオーナーさんが持ってきてくれるクルマのほうが、やりがいがあるよね。そういうお客さんは、クルマのために修理をするわけでしょ。修理を任されたら、一通り全部チェックするんだけど、そのときにここもそろそろ注意したほうがいいですよってアドバイスしてあげれば、今回は予算的に無理でもいつか直しましょうっていう話になるもんね。W124とかW201っていうタイプのベンツに乗ってるお客さんに、そういう人多いよね」

 菅野さんが電話で中座しているときに、一緒に働き始めて7年目の息子さんが教えてくれた。

“直そうという姿勢には、本当に迫力を感じる。直しますって言って引き受けた仕事は、手間暇掛かりすぎて損だとか、そういう問題じゃない。あの感覚は僕らの世代に欠けてるもの”

 電話から戻った菅野さんに、褒めちぎりの言葉を伝えた。

「プライドなんかないんだけど、恥ずかしいって思います。なんだ菅野、そんなのもわかんないのかよって思われたりしたらね。だってオレはプロだから」

 話が終わって、工場で立ち話をして、別れ際に今度は呑めるように誰かに送ってもらってきますと言ったら、ニコニコ笑ってうなずいてくれた。

「整備もいいけど、オレはいい酒呑めればそれでいいから。そのために、働いてんの」

 修理人生も素敵、呑み人生もまた素敵な菅野さんなのだ。

 

copyright / Munehisa Yamaguchi

    Car Sensor 2006 Vol.36掲載

 

直すことが当たり前の仕事だから

 本当の満足はそれ以上のところにあるんだね

プロが慕う技術でヨーロッパ車を直す達人

         オールディーズ/菅野一博さん


母親の実家がバイクも整備する自転車屋で、そこが子供の頃の遊び場だった菅野さん。当然のようにバイクやクルマが好きになり、当然のようにメカニックへの道を進んだ。自分が整備したい種類のクルマを求めて2軒の整備工場で修業した後、23歳のときに独立。自ら興したオールディーズで、あらゆるヨーロッパ車を前に奮闘する58歳。

内容はすべて"CarSensor"誌に掲載時のものです。 2006 Vol.36掲載

Ph. Rei Hashimoto