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大好きなクルマと大好きな音楽と。

クルマの話

ロードスター12Rと普通の2リットル






オートサロンで発表された
2リットルエンジンのロードスター幌車x2種類、長い前振り期間を経てようやくの発表だが、発表後も相変わらず賛否があるようだ。さくっと眺めて回っただけだが、ネット上ではけっこう罵倒に近い言い合いになっている様子も散見される。

価格のことを言う書き込みが多く目に留まるけど、価格は全然高くないと思う。絶対額の高い安いという感覚は、その人の収入かまたは価値観が支配的なので、公の場で議論になりにくい要素と感じる。なのでもう少し正確に言うと、割高ではない。

アメリカでのロードスター幌車(もちろん2リットル)の販売価格は、約3USD〜。本日の円・ドル相場が158円/USDなので、円に置き換えると480万円〜。オートサロンで発表されたスタンダード仕様の2L幌車が500万円台。グローバル価格設定としては、ちっとも高くない。むしろ為替のことだけで考えると、1.5の幌車=320万円〜、RF380万円〜という日本の現行価格がとんでもないバーゲンプライスになっている。もしこの日本価格が、1USD115円のとき(3年前)に設定されたものなら、1.5の幌車の価格はアメリカ仕様を基準には計算しにくいけど、RFは今すぐに530万円〜に変更されてもおかしくないことになる。

同じく、700万円後半と発表された特製仕様の12R。仮に800万円だとすると5USDとなる。105円/USD(4年前まではこんな感じだった)なら525万円だった、本日現在 158円/USDなので800万円。2021年だったら200台限定の特製車が525万円で買えたのにというだけの話で、実はちっとも割高ではない。

肝心なことは、そこではない。なにしろ説明不足が度を超している。


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写真:マツダ株式会社


1989
年以来、マツダがというより、むしろユーザーたちが築いてきた世界的にも希有な「ロードスター"仲間"」と呼んでも過言ではないユーザー同士のコミュニティ的な雰囲気が、高いだの安いだの(30004000万の話じゃないんだよ、たかだか500800万程度の話なのに)、速いだの遅いだの(500馬力800馬力の話じゃないんだよ、何年も前から売られている現行のハチロクの方がずっと速いという程度の話なのに)ということでグラグラになってしまっているような気配を感じる。モデル4世代にわたってヒエラルキーのないほんとうに希有で素敵なユーザーたちの世界観に、メーカーが競争原理を持ち込むのであれば、なるほど! と納得できるような、もっといえばそれを糧にさらに"仲間感"が深まるような懇切丁寧な説明が不可欠。

「手組みで特製なので800万円、素のやつもあるよ500万円。1.52.0かは自分たちで決めてね」

これでは、35年間ありがとうございました、みたいなことになっちゃうんじゃないかということに、個人的には気を揉んでいるわけです。だって、未曾有の好景気という奇跡の時代背景も助力になって町場で自然に生まれて育ったこの雰囲気(つまり「文化」です)ですから、一度崩れたら修復不可能だと思うから。ロードスター界隈を包むあの雰囲気を「文化」と定義するなら、少なくともメーカー主導(それがマツダでなくても)で再生・構築できることではないから。生活実用車の枠外に販路を求める種類の自動車が常に抱えている、民の心離れたらオシマイ、というキワキワの線をよくぞ35年間もトレースできたものだと心から尊敬しているから。





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W124を離れる人が増えてきたそうです






とても大切なことですが、ずっと長いこと……たぶん大昔に雑誌やムック本でメンテナンスガイドみたいな記事を量産していた頃以来……書いていなかったので、ちょっと恥ずかしいというか、いまさらわたしが書かなくても大勢のユーチューバーが「悲惨!○○」みたいな煽り動画を山ほどアップしているから、それが正解で常識ということでもういいんじゃないのという面倒くささというか。簡単に言うとですね、今さらオマエの出る幕じゃねえし的な後ろめたさを感じつつですが、とても大切なことなので少しだけ書きます、お目汚しごめんなさい。


最近、W124を降りる人が増えているという話題、あちこちから入ってきてます。仕方ないと思います。クルマの目指す方向や完成度はそこそこ違いますが、言ってみればトヨタ・クラウンと同じジャンルのクルマですから、1990年製のクラウンに乗っている人がメリメリ減ってきてるという話を聞いても、不思議に思わないどころか、まだ乗ってる人がいたのかよ、ってな感じだと思います。

メルセデスのEクラスの数々の素晴らしい特徴は、実用車としての評価の範疇にほぼすべてが存在します。実用車としてその時代その時代のベンチマークとなるほど素晴らしいクルマなのだ、というところが、まず肝心です。それはすなわち、いつでも普通に動いて必要なときに行きたい場所に自分や家族や荷物を運んでくれるよね、という性能がまず担保されていることが存在する意味の前提ということなんです。その上で……、走り味とかデザインとか、最後のメルセデスらしいメルセデスだとかいうことを言いたいのであればそれはそれでいいのですが、そういう所有する歓び的なことは、担保されるべき性能が愛車に揃っていることを確認した上で初めて語り合いましょうという順番だと思います。

そのためには機関を維持する整備が欠かせないのですが、もはやそれがままならなくなってきました。理由は、補修部品です。メルセデス・ベンツもボッシュも、クラシックモデルの部品供給を維持します!とアナウンスしてくれていますが、アナウンスのその先のアクションはいったいいつなんだという状況です。ここに書いたような、W124がメルセデスのEクラスとしての価値を維持するのに必要な最低限の部品も、あれもこれもそれもどれも生産終了されていて新品部品として買うことができません。仕方がないので中古部品を探すと、そこにはみんなが取り合いをしていてとんでもなく高騰した価格でやり取りされている市場があって、多くの常識ある人は新品で1万円だった部品をノークレームノーリターンの中古5万円みたいな条件で買うことを躊躇するわけで、探し求めている部品との素敵な出会いがいつか訪れるのを待つかW124を諦めるかの二択みたいなことになるのも仕方がないよなあと思うわけです。

心折れます、よね。

これはW124に限った話ではありませんが、旧いクルマを愛車として大切にしようと思うとき、そこに性能の話を持ち込んではいけません。動力、コーナリング、ブレーキング、乗り心地、安全性、静粛性、燃費……すべての性能の話です。例えばW124は、1970年代に設計されたクルマです。すべての部品の設計図は、ざっくり50年前に描かれたものです。そんなに旧い設計のクルマが日本で普通に走れるのは、日本の交通規則が同じくらい昔からほとんど変わっていないからだったりします。速いクルマや安全性の高いクルマや静かで乗り心地のよいクルマや熱効率のよい動力源を備えたクルマ、という話題で語ると、存在価値がどこにあるのかわからない、そういうクルマだということになってしまいます。夢中になっているうちは絶対的な性能評価なんてどうでもいいことだったりするんですが、前述したような「維持するだけでも大汗かきの一苦労」みたいな現実が身に降りかかった瞬間、あれ……って冷静になってしまうような気がします。だから、旧いクルマに性能の話を持ち込んではいけないんです。

長くなりすぎるのでここには書きませんが、「質実剛健」や「最善か無か」という標語も旧いメルセデス愛好者にとって心地のよい内容に解釈されて信仰の証のようなことになってしまっている感があります。質実剛健というのは豪華絢爛、贅沢三昧という意味ではないんです。むしろ無駄な金は使わない質素な振る舞いという言い方の方が近いと思います。最善か無かも似たような印象を受ける言葉です。このあたりの大勘違いが常識になってしまったのは、あの頃系メルセデスのことをせっせと盛り上げた雑誌にも大きな責任があると思います。構成、書き手をたくさん務めていた張本人として面目ないと感じます。雑誌をたくさん売っていっぱい広告を獲得したいのだ、という極めてストレートな出版社の要求に応えるのが商業メディアの制作に携わる者の務めだということを盾に今さら許しを請いたい気持ちになりますが、個人的にはできる限りめいっぱいの誠意ある記事づくりを実践していたことも知っていただければ少しはエンマ様への申し開きになるかしら、という思いでもあります。「質実剛健」「最善か無か」というキーワードを赤文字で表紙に書くとおもしろいように本が売れるのは、自動車雑誌を制作している側の人なら誰でも知っていたことだったわけです。

脱線しました、軌道に戻しましょう。


それではW124のような、わたしが大好きなきっとこれを読んでいる皆さんも大好きな、あの頃系メルセデス、あの頃系ドイツ車にいったいどんな価値があるというのか、ということになります。

「創り手の知性の高さを感じる作品を人生の身近に置く」こと。

人それぞれの考えがあると思いますが、わたしの場合は完全にコレに尽きます。

書き始めれば、ねじ1本にも「へぇ!」「なるほど!」「これ考えた人きっと天才」みたいな話がいくらでも見つかります。わたしには、感覚的にも経済的にもそういう作品を身近に置けるレベル以上の自分であり続けたい、という想いがずっと長くあります。恐らく、10代の頃からそうだと思います。その延長で見つけたのが、W126でありW124でありW201であり、ポルシェ944であり空冷911であったということなんだと思います。

人間が何かを作ろうと考えたとき、人間に許されている所作は「カタチの工夫」と「材料の選定」の2つ限り、他にはありません。Eクラスは、メルセデスにとってもっともお金を稼いでくれなくてはいけないモデルですから、しっかりとした利益率を確保した設計であることが絶対の絶対に求められた設計になっています。そして1980~90年代を見据えたEクラスの設計事情がどうだったのかということを推察するに、当時190クラスがなかった小型車枠に3シリーズをぶち込んで大当たりをしたBMWが1つ上の、つまり儲け代がさらに大きな5シリーズに攻勢を掛けてくるのは目に見えていたはずで、ぐうの音も出ないほどしっかりを頭を押さえ込む性能を備えたクルマを価格的な競争力と同時に実現しろという大号令が掛かっていた、はずなんです。

しっかりと利益を出せ……つまり、素材自体や加工にお金が掛かる材料は使えない。
でも同時に、ぐうの音も出ない性能を示せ……ならば、カタチを工夫して安く高性能を求めよう。これって頭がよくないとできないよね。

そして完成したのが、W124というEクラスで、260万台=毎日700台近い台数が10年間休みなく売れ続けた、みたいなとんでもないヒット作だったわけです。

大きな構造や機能はもちろん、小さな部品一つひとつを手にするだけでそこから伝わってくる正解への執念を感じることができます。どれかが尖った性能を有しているわけではなく、けれどもそれらが自分の役割をしっかりと果たし、さらに連なる部品たちとの協調を見据えて正しく積み上げられている様子が見えるW124に、紛うことない「創り手の知性の高さを感じる作品」を、わたしは感じるわけです。


ちょうど昨日、スタッドレスタイヤに交換するために外したホイールを洗ってしまうときに撮った写真を使って、長くなりすぎないように2つ3つだけ紹介しましょう。

IMG_9378

W124の後期モデルが普通に履いていたなんてことのない鋳造の8穴アルミホイール、裏側の写真です。
だだっと書きます。

ホイールハブキャリアに接する面はホイールにとってもっとも肝心な部分の一つです。この部分を全面平らの接合面とせずに外周と内周の2周のリング状の凸部でハブキャリアと接するようにデザインされています。様々な整備環境で使用されることを想定した場合、接合面への異物の噛み込みによる不均等合わせが発生する可能性を減らしつつ、接合面の位置決め精度がもっとも確保できるデザインです。ホイールボルトで締め付けたときの接合の面圧があがるので、ハブキャリアに多少サビが浮いてしまってもその凹凸の影響をキャンセルできる可能性を期待できます。
ハブベアリングキャップがはまるハブキャリアの中心の輪っかに嵌合する丸穴は、数カ所のツメが嵌合する構造になっていて、輪っか全周にはまる丸穴ではないデザインになっています。偏心のない位置決め性とホイールのサビや熱による噛み込みが発生しにくい構造です。道具が揃った整備工場ばかりでなく、オーナーが路肩でタイヤ交換する可能性もあるのだよ、ということかと。
5本のホイールボルト分の丸穴を挟んで、5箇所の分銅型の穴があります。裏側からの大きなざくり穴は軽量化のためだと思われますが、それぞれホイール表側に丸い貫通穴が開いています。設計した人に訊いたわけではないので推測ですが、放熱用と考えるのが素直かなと思います。ホイールハブキャリアには、ベアリング、ブレーキディスク、駆動輪はドライブシャフトの作動に生じる熱が入ってきます。200km/hで1時間みたいな走り方ができる土地で生まれたクルマですから、このような構造については独特の知見があるのかもしれません。分銅穴の外側には水抜き用の切り欠きがありますが、その辺りはまあ当然っちゃ当然です。
表側はディスク形状のこのホイールですが、実は8本スポーク形状を基本として、その間を面でつないだ構造になっていることがわかります。中心から厚みのあるスポーク形状が伸びてますが、8つの穴が開いている辺りで皮一枚みたいな薄さになります。ブレーキキャリパーに干渉しないように追い込まれた形状だと思いますが、8つ穴の周囲にしっかりとしたリブを立てて応力にいちばん効果的な両端を支え、薄い面部分にも小さなリブが5本鋳込まれています。横方向ではなくて縦方向なんですね、ということからこのスポークに掛かる力の向きを想像して楽しんでください……ん、楽しくない? そうそう、もちろん8つの穴は全周大きめのRがあるデザインで、応力集中による破損とか誰にモノ言うてるねん(by MB)形状です。この写真では外周に近いところの両端が角張っているように見えますが、ここはリム筒に入り込んでいるところなので3次元的にはRの連続デザインになっています。表面の写真も貼っておきます。二等辺三角形の底辺と言えばわかるかしら、リム側の長い辺も含めたすべての辺がすり鉢状に彫られた8つの穴を眺めながら、ああこれは回ると風を吸い出す形状になっているのだなと気づくわけです。右側に装着しても左側に装着しても同じ効果が期待できる対称形であって、特にブレーキキャリパーはホイールの表面すれすれのところまできているので、キャリパーの熱を外側に掻き出す効果も少なからず期待できるんじゃないかなと思うわけです。

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もう1枚写真を貼りましょう。8つの穴の形状が完全なる大きなRの連続だということも、こっちの写真の方がわかりますが、この写真でお話ししたいのはバルブゴムを外側からしっかり抱き込むように保護するデザインのことだったりします。195/65-15サイズのこのタイヤは、時速200kmで走っているときに毎分1,666回転、毎秒27回転します。このときバルブゴムが受ける遠心力は想像ができなかったら、いちど30cmくらいの紐の先にバルブゴム(と同じくらいの重量のなにか)を縛って毎秒27回転で回してみてください……人力ではできないと思うけど。バルブゴムってゴムなので、うにょって外周向きに曲がるわけです。で、停車するとまっすぐの位置に戻って、また走ると曲がる。これを繰り返していると、あるとき突然サクッとバルブゴムの土台のところのくびれが折れることがあるんですね。じんわりでなく、突然ゼロになるので、死んで(誰かを殺して)しまうような大きな事故になる可能性が大いにあります。なので、バルブゴムの外周側を支えるデザインになっている、と。同じ時期のポルシェ911はアルミの支柱を両面テープで貼ってましたが、より幅広い顧客層を持つベンツは不用意なことが起こり得ないようにデザインの中に盛り込んだということです。バルブゴム根元のホイールとの取り付け部、つまり折れるとしたらココというポイントからいちばん遠いバルブゴムの先端に取り付けられるバルブキャップは、ポイントへの応力効果も最大なわけで、なによりも軽いことが大切です。あの頃系メルセデスのバルブキャップは、薄い金属をプレス成形したもので綿毛かと思うほど軽量です。そしてよくある黒い樹脂製のものと違い、跳ね石で割れることなく常に屋外にあっても耐候性に不安なく、内部に樹脂製のシールリングまで付いているので、バルブゴムの虫ゴムに異常があっても突然の空気抜けを回避できて、というものです。

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そういえばこのホイール、脱いでも凄いんですということで、タイヤが付いていないものの写真を撮ってきました。リムの筒部分が大きくえぐれた形状になっていることがわけります。大昔にタイヤ屋さんでアルバイトをしていた頃、タイヤの脱着がしにくくてイヤだなあと感じたことを思い出します。タイヤのビード部がこの凹みに落ちてしまって、骨董品みたいなそのお店のタイヤチェンジャーだと引っ張り出そうとするとリムに傷を付けそうになって。当時の国産車のホイールはほとんどずんどう形状でしたし、アフターマーケット品だと今でもずんどう形状が多いと思います。自動車もの書きの仕事を始めていろいろ勉強している中で知ることになったのですが、この凹み、少しでもたくさんの空気を充填できるようにするための性能要件デザインなんです。極端な角度の折り曲げデザインにしなければ、同時に強度も高められると思います。タイヤは、ゴム質や骨組みなどの構造が語られることが多い部品ですが、何よりもまず空気が仕事をしているのだ、というところを知らずに理解することができません。タイヤの中にはできるだけたくさんの空気に留まっていただいてお仕事に励んでほしいところですが、タイヤの外径と内径の差xトレッド幅分しか空間がありません。空気圧を上げすぎると跳ねてしまってクルマが路面から離れてしまいます。そこで、ブレーキやサスペンション機構に干渉しない範囲で、ホイールを内側に拡げて空気のための部屋を拡げるという手を取るわけです。たかがタイヤのエアごときと言ってはいけません。ここ、本当に本気なポイントですから。ポルシェとか、もっとエグい設計してます。ちょうどガレージに928S4というモデルがあるので写真を撮って紹介しましょう。

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ホイールの穴から内側を覗くと、なんと穴のデザインの内側に飛び出すほどの出っ張り、つまり空気のための部屋が拡大されていることがわかります。このクルマの場合ブレーキキャリパーがいちばん外側に飛び出しているのですが、キャリパーの外側とホイールの内側との差は1センチないくらいです。バランスウエイトとの隙間は、5ミリ程度しかないように見えます。奥の方に見えているベージュ色の樹脂部品が取り付けられている高さが、このホイールの本来あるべき内径位置です。こんどホイールを外して検証してみたいと思いますが、1センチ以上の凸凹が鋳込まれているんです。空気にたくさん留まってもらうための空間づくりのためです。ここまで極端ではないにしても、メルセデスもW124の何の変哲もないアルミホールにも同じ設計思想を盛り込んでいるというわけです。それにしてもこの928S4のホイール、どうやってこんな変なカタチを鋳込んだんでしょうね。外側はともかく、内側の鋳型が抜けない……ようにしか見えません。こんど外してゆっくり検証するのが楽しみです。


もう読み疲れましたよね。放っておけばこの下に何メートルも文字がぶら下がるくらい書き続けてしまうのでこのくらいで締めますが、つまりこういうことだと最後に書きます。

30年以上、世界中のいろいろなクルマの間近に居られる仕事をしてきましたが、この頃の20年間くらいのドイツ車がエンジニアリングに興味のある愛車家たちに与えてくれるトキメキは、本当に格別のものだと断言できます。クルマというのは、実はもう十分に成熟した工業製品なので、まあ言い方はアレですが、そこそこな感じで作っても大きな問題を起こさない程度の製品ができてしまうんです。製品へのエンジニアリングのこだわりと、商品性つまり売れる売れないという意味での優劣はほとんど関係ない時代に到達して久しいです。そんな、言ってみれば技術的ロマン飽食自動車時代にあって、溢れるエンジニア魂をそこここに見つけることができる作品を自分の人生の身近に置くという歓びは、それを手放してはいけないという強い執着を沸々とさせたとしても何の不思議もないことだと思うんです。


あの頃系メルセデス、あの頃系ドイツ車の魅力について、わたしが思う価値観の話を書きました。こういう価値観とEクラスの実用性を例えばW124という旧いモデルで両立させるためには、いろいろなハードルを越え続けることとセットになってきていて、次第にハードルの数が増えてときどき高いハードルが出現する状況深まることも容易に想像できるんです。でも、頑張れば超えられないほどのものでもないだろうなとも思います。なにしろ信じられないほどの台数が作られたクルマです。愛好家も少なくありません。これまでの30年くらいのようにはいかないけど、この先いったい何年くらいクルマの運転ができるんだろうかと思えば、あとちょっとじゃんという世代の人も多いんじゃないでしょうか。

その手を離さないで……と、そう言われているみたいな気持ちになっちゃうんですよね、わたしは。離してしまったらきっと再会できないでしょうから。

皆さんはどうですか。




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Sクラスに乗るということ。






前回のブログで、大昔に雑誌へ寄稿した原稿をそのまま紹介してブルーノ・サッコ氏を偲びました。書き手にしてみれば、過去恥部のカタマリのような文章ですが、一部の方々からとても懐かしむ声が寄せられていまして。いまでも似たような雑誌はあるでしょうし、なんならインターネットをさらえば自動車の記事なんてゴマンとあるじゃないかと思うのですが、まあ褒める人あれば今の若いもんにもそれほど引けを取らない文章なんじゃないかと思い違いも簡単なわけで、ちょっとオヂサンうれしかったりもした次第です。

15年ほど前までは、とにかく朝から晩まで書いて書いて書きまくっても片付かないほどありとあらゆる種類の原稿を納めていたので、同程度のクオリティの原稿ならば、Macの中にごっそり残っています。うれしかったついでに、それほど喜んでくれる人がいるのならば少し掘り返してみてもいいかなと思い始めています。文字数の制限や、編集部や制作会社からのリクエストで当時の原稿に盛り込めなかった取材データの中に無数にある興味深い話を交えながら、またYOUTUBEに番組でも作って紹介するのも楽しいですね。

一部にびっくりするほど博識、経験豊富な人がいるのは確かですが、それ以外のほとんどの場合は自動車雑誌の編集部員だから自動車に詳しいなんてことはないので、テーマだけ与えられて、記事の切り口を含めた構成をまるっと放り投げられることも多かったので、お陰様でと言っていいやらどうやら、誌面作りに必要なコンテやら挿画を作るための原画として作ったデータもたくさんMacの中に残っています。そういうものを必要に応じてお見せしながら裏話と共に話しても楽しいと思います。。。ん、見てる人も楽しいのか? わたしは楽しそうだなと思っているんですけど。

で、以下はたしか2009年にオンリーメルセデス誌に寄稿したものです。例によって「Sクラスの特集をやりたいけど、旧い世代は任せます。切り口も含めて考えて4ページで提案してください」みたいなオーダーだったと思います。そのときは、対外的なSクラスの価値と社内に於けるモデルごとの商品としての役割という2つのことを、ホイールベースとリアシートの居住性の変遷から探ってみよう、という提案をして記事を作った記憶があります。

以下、当時の入稿原稿そのままです。挿画や表は、作画のためにこさえたデータなのでいい加減な感じで失礼します。マイバッハの写真は、1997年の東京モーターショーでプレス向けに配布された広報資料から使用しています。

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Sクラスに乗るということは、どういうことなのだろう。

メルセデス・ベンツは、同種の乗用車を製造するメーカーの中における自動車ヒエラルキーと呼んでもいい格付けの中で、頂点に君臨するメーカーだ。ロールスロイスやベントレーは、もはや純然たるメーカーではないし、長い歴史に裏付けられた格調の高さや、新型車が発表されるたびに盛りこまれる最新技術の開発力をみても、これは明らかだ。また、もとよりフェラーリやポルシェに類するクルマはメルセデス・ベンツには存在しない。


そして同様に、メルセデス・ベンツは、自社のモデルの中にも厳然たるヒエラルキーを与えている。言うまでもなく、Sクラスは4ドアセダンというカテゴリーにおいて、頂点に立つ。そのポジションは、モデルの新旧を問わず生き続ける。97年に東京モーターショーで発表されたマイバッハのコンセプトカーのボンネットには、スリーポインテッドスターが輝いていた。けれども、Sクラスを超える車格のモデルがラインナップされることが社内で認められず、マイバッハという別ブランドからの発売に至ったことは有名な話だ。世界の頂点に立つメルセデスの中の頂点に格付けされた格式を手に入れること。それがSクラスに乗るということなのだ。

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1997年の東京モーターショーで発表されたマイバッハは、当時メルセデスの横浜デザインセンターに在籍していたオリビエ・ブーレイがまとめた。障子をイメージさせるルーフなど、和風な意匠も散見されるマイバッハは、この時スリーポインテッド・スターを冠し、Sクラスの上に立つ特別なメルセデスとして発売される予定だった。けれどもメルセデスにおいてSクラスを超えるセダンの存在は認められないという社内の方針により、マイバッハという別ブランドの下で発売された。その時メルセデスでの発売を主張した人物に、ダイムラーAGの現C.E.O.ディーター・ツッチェもいる。このことは、Sクラスとマイバッハの今後の関係に少なからず影響を与える可能性がある。

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メルセデスにおける頂点のモデルがSクラスと命名されてから、現行モデルで5世代を数える。そして、歴代のSクラスにはショーファー、つまりリアシートに招いたゲスト、あるいはドライバーに運転を託したオーナーのための快適な移動空間という役目が与えられ、そのために相応しいロングホイールベースモデルが用意された。ところが1モデルだけ、ドライバーズカー方向に発想をシフトしたモデルが存在する。4代目、V220である。メルセデスは、同時期に発売が開始されることになったマイバッハに純粋なショーファーとしてのポジションを与え、V140までが担っていた最高級のドライバーズカーとショーファーの二役を分離した。もっともW220においてもマイバッハまでは必要ないという顧客のために、ロングホイールベースモデルのV220は変わらず設定されたし、全席においてSクラスの名に恥じない快適性は保たれたが、先代よりもグンと小振りになり、これまで拡大の一途を辿っていたホイールベースが初めて縮小された。その影響は、アウトバーンにおける超高速走行時の効率を高めるための滑らかに空気をいなすルーフ後端の形状と相まって、後席頭上の空間に顕著に表れた。このことはショーファーとしての魅力を薄めることにつながる結果となった。この1点において、V220のSクラスとしての資格に疑問を唱えるメルセデスファンが存在することは確かだ。果たして、V220をどう判断するか。

少なくとも私は、V220も歴代のモデルに並ぶSクラスの資格を備えていると思っている。確かにショーファーとしての用途を優先したい層に、V220を積極的に勧めることはしない。けれども最初にお話ししたように、Sクラスを所有する悦びとは、まず第一義に最高峰のメルセデスという格式を手に入れることである。言うまでもなく、その格式とはメルセデス自身が授けるものだし、そのためにV220に盛りこまれた快適性や高い安全性、操縦性は、紛うことくSクラスたる高次元なものだ。

そして、後継のV221が再び拡大方向にシフトしたことをことを知るにつけ、Sクラスというヒエラルキーを享受しつつドライビングできるコンパクトなセダンが、近い将来において登場することは考えにくい。さらにV220がすでに新車ではなく、中古車としての購入の動機の多くがマイカーであることを考えると、ショーファーとしての後席の意義はそれほど大きな問題にならないのではないか。V220、コンパクトとはいっても、家族のためのセダンとしては十分以上なサイズであることは、一見すれば十分にお分かりだろう。

最後に1つ。いや私はV140派なのだ、というのであれば、それはもちろん大いに結構。もし私が子供であれば、ダイアナ妃も座ったあの広大な後席に私を乗せてドライブに出かけてくれる父親など、夢のまた夢の贅沢なのだから。


オンリーSクラス車両
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歴代のSクラスにおけるホイールベースの変遷をW126以降のモデルで比較してみた。W126が先代のW116より、すでに100mm長いホイールベースを備えて登場していることを振り返ると、ホイールベースを前モデルから縮小したのはW220のみである。もっともW220であってもW126と同等のホイールベースを備えるロングホイールベースカーであるが、高速走行時の良好な空力特性を持つルーフラインが与えられ、その結果それ以外のモデルにくらべて後席頭上のスペースをわずかながら狭めている。後席シートバックの角度と乗員の頭の位置が示す線に、ショーファーとしての資質の大小を見ることができる。その背景にマイバッハの存在があったことは、言うまでもない。




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ブルーノ・サッコ氏と大好きなクルマのデザイン。






ブルーノ・サッコ氏が亡くなった。

このブログを読んでいる皆さんの多くは、あの頃系メルセデスの愛好家だと思いますので、氏については今さら説明の必要がないでしょう。いろいろ書きたいことはありますが、けっこうな夜中になってしまったので、昔書いた原稿をそのまま貼り付けておきます。2009年にジャーマンカーズ誌に「ネオクラシック特集」用として20ページ分くらい寄稿したもののうち、デザインについて書いたものです。入稿時のものをそのまま貼り付けますので、誤字、脱字等についてはご容赦ください。誌面の切り抜きはどこかに紛失してしまったので、写真はメルセデス・ベンツのメディア用サイトから拝借したものを使用します。


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ネオクラシックな世代のドイツ車の魅力、まずはデザインから検証してみよう。目の前に、アルピナB9/3・5クーペを用意した。GC読者の皆さんには説明の必要もない名車。言うまでもなく、BMW6シリーズ・モデルE24をベースに、ブルカルト・ボーフェンジーペン氏率いるアルピナが、選ばれし特別なオーナーのために仕立てた大人のハイパフォーマンスロードカーである。

世界でもっとも美しいクーペと称されたこの6シリーズのスタイリングは、登場から30年以上が経た今日に至ってもなお、堂々とその英明を引き継ぐことができる新たなクーペの存在が怪しいほど、美しい。

撮影のためにスタジオに持ち込み、日常ではあり得ないほどの強い光で照らしてみる。すると、ハイライトはただ白く跳ね返るだけでなく、そこに必ず特徴的なフロントマスクへと収斂するエッジが現れることに気づく。躍動感にあふれる。エッジを挟んだ対称面の黒い影の中にさえ、見えないはずの線を知らず知らずのうちにイメージしてしまう。深い。

スタジオの壁ぎわまでゆっくり十歩さがって、クルマのそばを忙しく動く撮影スタッフ越しに静かに眺める。人間がそばにいることで、このクルマは、ただ美しいだけでなく、この上なくふくよかで、安心感が漂い、涙が出るほどのやさしい表情になる。気持ちが落ち着いてゆく。

工業製品におけるデザインの難しさは、カタチが機能を包むためのスキンであるという前提を越えられないことにある。デザイナーたちは、まずその壁に立ち向かう。エンジンやトランスミッション、サスペンションやタイヤなどの機関系コンポーネンツは、車両のコンセプト段階で決定された性能を発揮するために、すべてに最優先してレイアウトされる。もちろん乗員や荷物の空間も適切に配置されなければならない。

予算も限られている。たとえ素晴らしい造形が可能になることが分かり切っていても、決められた制限を超える素材や成形方法を用いることはできないし、それが量産を前提としたモデルであれば、予算管理は生産プロセスまでを含むことになり、デザインの自由度はますます収縮する。結果、大方の工業製品のデザインは、エンジニアと予算管理者と、デザイナーのせめぎ合いの中で、妥協の産物として決定される。

アーティスティックな才能の丈を存分に表現できるというわけではないという意味で、工業デザイナーは芸術家とはまったく異なる職業で、したがって生み出される製品は芸術作品などであるわけがない。目の前のアルピナも、例外ではない。

ところが、ときどき奇跡は起こる。目の前のアルピナが、まさにその一例である。ここまで普遍的な美しさを放つ工業製品は、本当に珍しい。

いよいよ本題である。なぜBMW6シリーズ・モデルE24は、こんなにも美しく誕生することができたのか。奇跡であるとしても、その背景に奇跡に結びつく事実はなかったのか。そもそも、6シリーズの美しさは、本当に奇跡の賜なのか。そして、なぜ次々と誕生してくる新しい世代のクルマたちが、このクーペを超える強い個性で“世界一美しいクーペ”の座を奪うことができないのか。

その答えを見つけるために、興味深いストーリーを紹介しよう。ネオクラシックは、なぜ美しいのか。



“1933年”という
奇跡のキーワード

僕らが大好きなW124やW201、W126などのGC的世代のメルセデス・ベンツは、ブルーノ・サッコというイタリア生まれのデザイナーの作品だ。サッコはそのほかにも、R129やW140も手がけていて、まさにGC読者が夢中になっているベンツの造形は、すべて彼の手によるものだと言っても過言ではない。

'58年にダイムラー・ベンツに入社したサッコは、フリードリッヒ・ガイガーという老練なドイツ人デザイナーの下に配属され、彼がリーダーを務めるデザインスタジオでカーデザインに対する造詣を深めてゆく。一般に自動車メーカーにおけるデザイン部の構成はチーム制で、リーダーの主宰するスタジオごとに作業が進められることが多い。サッコが就いたガイガーは戦前からベンツに籍を置くデザイナーで、戦前の500K、戦後の300SLクーペ&ロードスターが代表作だといえば、その実力たるや推して知るべしである。

サッコが配属されたガイガーのデザインスタジオには、1年前から同じくガイガーの下で働くことになったもうひとりのデザイナーがいた。彼の名は、ポール・ブラック。フランス生まれのブラックは、すでにベンツの先行デザインに関するチーフの立場で活躍しており、W100=600リムジンを皮切りに、W111/112、113、108、109、114、115という、いわゆるタテ目のベンツをガイガーのサポートの下で次々と完成してゆく。

いわばガイガーの一番弟子として、ベンツのデザインの一時代を築いたブラックは、'67年にベンツを去り、フランス版新幹線、TGVをデザインした後、'70年にBMWへ入社。ミュンヘンオリンピックを記念して製作されたコンセプトカー・BMWターボを手始めに、5シリーズE12、3シリーズE21、そして6シリーズE24、7シリーズE23といったモデルをデザインディレクターの立場で取りまとめていく。逆スラントフェイスにキドニーグリルと丸いヘッドライトのあのBMWフェイスは、タテ目のベンツを描いたのと同じ頭脳と感性の下に完成されたのだ。これらのモデルのデザインコンセプトが、現代の各モデルに至るまで、BMWのスタイリングに強い影響力を残し続けていることは周知の事実である。

ブラックの残した仕事について知った後で、目の前の6シリーズを眺めると、なるほどタテ目のベンツに通じるやわらかい造形が見て取れるような気がする。これはあくまでも個々の主観による感想が最優先されるべきだから、みなさんも各自、それぞれの感想を抱いてみてほしい。

さて、ガイガーの二番弟子としてベンツのデザインスタジオでキャリアを積み重ねてきた我らがサッコはというと、'73年のガイガーの引退を受け、翌年にベンツのデザインスタジオの責任者に就き、その後は前述の通り、GC的ベンツの各モデルを次々と完成させることになるわけだ。

長々とした事実関係を読み切ってくれたことをみなさんに感謝しつつ、ふと、こんなことに気づかないか?という問いかけをしたい。

メルセデス・ベンツとBMW、中でも僕らが大好きで、この先もずっとずっと大切にしてゆきたいと思える世代のドイツ車は、たった2人の才能が、ほぼすべてを描ききっているのではないか、ということだ。

もちろんクルマのデザインは、チームで取り組むべき要素が少なくなく、例えばBMWの5シリーズに関しては、ベルトーネに在籍していた頃のマルチェロ・ガンディーニが副デザイナーとして参画していたという記録があるし、6シリーズにおいてもベルトーネの面々との関わりはあったようだ。けれども、デザイン・コンペティションの舞台へと上がってくる何十、何百の提案を選定し、1枚のスケッチを高みへと極める任を完璧にこなし、僕らが大好きなGC的世代のドイツ車をデザインしたのは、ポール・ブラックとブルーノ・サッコのたった2人のデザイナーなのだ。彼らをカリスマと呼ばずして、他にどう表現すればいいのか。

さらに驚くべき事実がある。我らがカリスマのこの2人は、20世紀カー・オブ・ザ・センチュリーの25台に選ばれた300SLを描いたフリードリッヒ・ガイガーという才能の下に机を並べ、世紀の大師匠の前で戦われるコンペティションを勝ち抜くためのデザインワークに共に切磋琢磨したライバル同士でもあるのだ。

もっと言おう。フリードリッヒ・ガイガーが夢高くダイムラー・ベンツに入社したのは1933年。奇しくもポール・ブラックとブルーノ・サッコともに、同じ1933年にこの世に生を受けている。存在自体に因縁すら感じる独・仏・伊の3人のデザイナーの残した仕事を知るにつけ、つくづく美への感動は、個人の仕業に対する崇拝なのだなと思わずにはいられない。そうは思わないか?



アーティスティックな造形が
許されたネオクラシックな時代

前段で、工業製品におけるデザイナーの憂鬱についてお話しした。残念ながら、BMW6シリーズ・モデルE24を超えたと誰もが認める美しいクーペは、未だに登場していないことも多くのGC読者に同意してもらえると思う。そして、実は同じ師匠の下で修業した、たった2人のカリスマに、心を奪われてしまった我々なのだという事実も判明した。

それでは、なぜ次はないのか。どうして3人目のカリスマは、現れてくれないのか。そもそもクルマにとって、デザインとは何なんだ。

今年上半期の話題を独占した、プリウスとインサイト。GCの読者の中には、ひょっとしたらもう忘れてしまった人もいるかもしれないが、両車のカタチを思いだしてほしい。私の周りの多くの人は、よく似てるよねと言っていた。燃費のために空力性能を追求すると、やっぱり同じようなカタチになるんだねと言っていた。ま、確かに似ていると言われればその通りだが、私はトヨタとホンダのデザイナーは、共によく頑張ったと思っている。つまり、よくぞあそこまで違うカタチに持っていったもんだと思うわけだ。

ハイブリッドシステムの仕組みが違う両車は、乗員数やサイズなど、基本的なコンセプトは酷似していても、スキンの下に包み込む内容物の違いによって、まったく同じカタチにはならない。けれども、それはブラックが6シリーズを描いたときほど自由な造形が許されているということと同義ではない。いちばんの理由は、空力に於ける性能要件が極端に高まってしまったことにある。

クルマに限らず乗り物は、速度が高まるにつれて、急激に空気による影響を受けるようになる。コンサバティブなセダン型の乗用車でも、速度が60km/hに達した時点で、空気抵抗の大きさが全走行抵抗の半分を超えると言われている。もともとアウトバーンでの高速走行が開発の前提にあるドイツ車では、空力抵抗の軽減だけでなく、あらゆる意味での空力性能の向上に寄与するためのデザインアプローチが見られた。目の前のアルピナに装着されたチンスポーラーやリアスポイラーもそうだし、極端なほど分かりやすい例で言えば、ポルシェの巨大なリアウイングなどは、速く安全に走るための理屈に基づいて徹底的に磨き込まれた結果の造形に他ならない。

ところが、世の中は徹底的な高効率、つまり燃費の向上をすべてのクルマに備えさせなければならない時代に突入した。こうなると、4つのタイヤとお約束の機関類、そして乗員と荷物のための空間といった、クルマの構成要素が変わらない限り、カタチは極端に似通ってくる。ボーイング社とエアバス社には何種類もの飛行機が存在するが、丸い胴体と主翼と3枚の尾翼の有り様は、誰にでも見分けが付くほど違ったりしないのと同じことだ。飛行機は、性能的なデザイン要件のほぼすべてが空気そのものだから、あぁいうふうにしかならないのだ。

カーデザイナーの仕事は、大きく変わりつつあるのかもしれない。それは、今回登場した3人のデザイナーたちが、工業デザイナーとしての制約を受けつつも、造形そのもので明らかな個性を表現する余地が大きく残されていたのに対し、もはや世界中の自動車メーカーのコンピュータがはじき出す似たような正解を、それぞれのメーカー製らしく見せるためのリフォームに限定されてしまったのではないかということだ。すべてのエンブレムを外し、窓や灯火類をまっ黒に塗りつぶしてなお、どの角度から見ても車名が一目瞭然で答えられるような個性的な造形を持った新車が、どれだけ存在するのか。

造形に対する感覚は、極めてアーティスティックな要件だから、個人の才能に因るところが大きい。偉大な作曲家がひとりで何曲もの名作を残すように、クルマにおいても同じことだ。カリスマデザイナー、大歓迎。最高のデザインは、組織の合意で生まれるものなんかじゃ、ない。

もちろん、21世紀のカリスマデザイナーが登場してくれることを、心から望んでいることは、みなさんも同じだと思う。我々凡人が思いもつかない手法で、ブラックのような、サッコのような作品を生み出して、僕らを魅了してほしい。けれども、その時が来るまでは、性能要件が穏やかだった分だけ、時代を遡ればのぼるほど、きらめくアーティスティックな才能に触れることができる。ネオクラシックは、だから美しい。



Bruno Sacco
1933.11.12 - 2024.9.19 享年90



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