2025年2月の出来事。
2025/03/10 07:09 Filed in: 日記っぽい話
2週間ほどアメリカに行っていました。この歳にして新しい挑戦を始めています。今回の渡米は、ほぼすべてそのことに関わることに終始する日程でしたので、ほんとうに“脳”が疲れました。
渡米中、もう一つ大きな出来事がありました。帰国の途に就く2日前に父が他界しました。息を引き取る3時間ほど前に、実家で付き添ってくれていた弟がつないでくれた"FaceTime Video 通話" で画面越しに声を掛けたのがわたしと父の最後になりました。出発する時点で、あと2週間はもたないかもしれないと宣告され、日帰りで宝塚の病院まで会いに行き、翌日は茨城県で取材、そしてその翌日には機上の人となったわけですが、もし父に意志を伝える能力が残っていたら、行って仕事を決めてきなさいと送り出されたに違いないと信じての出国でした。あと3日早く帰れていればという心残りがないわけではありませんが、いまわたしの何が父への報いになるのかは、この渡米において至極明快だったりもします。成田→伊丹と乗り継ぎ、大きなトランクを抱えたままタクシーで葬儀場へ向かい、すっかり夜遅くになってしまいましたが棺に納まった父と再会することができました。そして翌日、荼毘に付すところまで、いちばん大変なときにのこのことアメリカに出掛けていたわたしには、あっけないほどあっという間でした。そのあたりのすべてをこなしてくれた、弟と母には感謝しています。
葬儀の日、火葬炉から出てきた寝台を、お骨上げのために親族が待つ部屋まで係の人と一緒に押す役目を受けたことで、一つ思ったことがありました。まだ顔面に浴びるような熱気を帯びた金属製の寝台の上、体の様に並んだままの父の遺骨と対面したとき、いろいろなことを思い出すと同時に、楽しかったり怖かったりした父との時間は一体何だったんだろうと理解すればよいのか、そんなことを思いました。世の中で何よりも確実なことは、誰ひとりの例外もなく必ずみんなここに至るのだということなんだと思いました。生を受けることは奇跡ですが、死を迎えることは生を受けたものに共通する必然です。その間の数十年の出来事や、それらが自他に残す結果や記憶って、当人にとっては間違いなく、そして他人や世の中にとってもほぼすべて、当人が生きている限りの有限事象なんですね。輪廻転生という宗教観を否定することはしませんが、化学反応、電気反応として発生する当人を特定するようなあらゆることは、間違いなく数十年間の有限事象だと、真っ白になった父の姿にそんなことを思う不謹慎な息子こそ、紛うことなき彼の作品だったりもするわけですが。
そんな慌ただしすぎる2月も終わり、今は父を看取ることを半ば諦めてまで挙行したアメリカ行で進めてきたことを、今年後半の仕上げに向けて1つずつカタチにしているところです。失敗しても無関係な人にいろいろ言われても思われてもなんでもかんでも、やったもん勝ちだなと、わたしの顔面を灼く父の骨に会った時にそう思ったことが、大忙しだった2月の締めくくりの出来事だというわけです。
写真は、父がくれた本に挟んであったメモ書きです。日付けを見ると、わたしが29歳のときですね。ケガニさんのマネジャーを辞めて、"Car Ex"という自動車雑誌の編集部がデスクを用意してくれたフリーの編集者2年目くらいの頃だと思います。今のこのタイミングにふとこういう紙切れが出てくるあたり、大きな会社に入ることもせずに漕ぎ出した社会人としての人生、この歳になっても相変わらずフラフラと浮き草稼業を続けていることを未だに心配されているような気分になります。でもまあ、「元気で頑張って下さい。」と締めくくってあるので、そうすることにします。

父・山口周三 2025年2月23日永眠。享年92歳。
お疲れ様でした。ありがとうございました。
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